個人資料
博文

 原発事故をめぐる日本の政治的狀況について、いろいろ考えることがあるのだけれど、なかなか上手く文章にできない。いつもは、書いた後すぐにブログに載せずに、なるべく“寢かせる(一晩置く)”ようにしているのだけれど、今日は思いつくままに書いてみようと思う。
 昨日、朝日新聞に世論調査が載っていた。それによると、國民は浜岡原発の運転停[閱讀全文]
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(2011-05-15 06:05:57)

 中國のネット上で、こんな小話が流布している。
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 アメリカがオサマ・ビンラディンを水葬したことに対し、日本國民は強い不安を示した。なぜなら、日本の福島原子力発電所から排出された汚水によって、海水が放射能に汚染され、水葬されたオサマ・ビンラディンがゴジラディンとなって出現する恐れがあるからである。
 日本[閱讀全文]
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 前回このブログに、「東日本大震災によって私たちは、この世界がいやおうなしに突然生命や安全な暮らしを奪われる危険に満ちた世界であるということに突然気づかされた」というようなことを書いた。
 そしたら、ちょうど今朝(5月13日)の朝日新聞で、社會學者のウルリッヒ・ベック(ドイツミュンヘン大學教授)という方のインタビュー記事が[閱讀全文]
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 菅首相の浜岡原発の全爐停止の要請と、それを受けた中部電力の停止決定は、高く評価されていいと思う。浜岡原発は、近い將來に発生する可能性が高い東海地震の想定震源域の上に立地していることから、早急な対処が必要とされていた。
 なのに、この菅首相の英斷に対して、大手メディアの論調が必ずしも手放しで歓迎していると見えないのはどうして[閱讀全文]
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「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。
 これはACジャパン(公共広告機構)のCMで何度も聞かさ[閱讀全文]
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 『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ著、ハヤカワepi文庫)という小説を読んだ。この小説を原作にした映畫が公開されているそうで、新聞に載っていたその映畫の評がたまたま目に留まり、映畫よりも原作の小説の方に興味を持った。作者が日本人名なのにカタカナであることや舞台がイギリスであることとか、ちょっと不思議に思ったからだ。
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(2011-04-28 18:55:11)

 
 
 もうたんぽぽは終わりなのかな。これは四月の十日に撮った寫真。
 ここはたんぽぽ、しばらく上ると次はバラ、その次は百合、その次はひまわり、ききょうにコスモス、雪の椿、なんて、上がるにつれてその都度いろんな花が現れる、そんな階段があるかもしれない、と思った。時にはどくだみだったり、時にはイバラが現れたりして。
 そうして[閱讀全文]
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(2011-04-23 18:37:20)
 
 テレビをつけたら、たまたま、爆笑問題がどこかの大學で討論會をしていた。たぶんNHKの番組だと思うのだけれど。
 その中で、大田光さんがこんなことを言っていた。彼は以前、ネットの2ちゃんねるでひどく嫌われていて、死ね死ね死ね、と何行にもわたって書かれ、當時ひどく傷つき気に病んでいたそうだ。
 ある時、ある若者が大田さんを名[閱讀全文]
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 夫と電話で話す。
「ACジャパン(日本公共広告機構)のテレビCMがしょっちゅう流れてて、気持ちが悪くなる。節電しようとか、買占めは止めようとか、人に親切にしようとか。ある詩人の詩が使われているんだけど、こういう時にこういう詩を使う意図は何だろうって。一種の洗脳かもしれない。誰かが必死で、私たちをなだめようとしている。
 で[閱讀全文]
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 ずいぶん昔に、河合隼雄さんの『人の心はどこまでわかるか』という本を買った。河合さんは故人となった。この中に、時々本棚から取り出して読み返したくなる一節がある。
(以下、引用)

「一応外見は普通にしてないと、この世に生きていけないからね。普通の人になるということは大変にさびしいことなんですよ。だからぼくは、心理療法とい[閱讀全文]
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