公園にて。自転車にくくりつけられた風船の山。カラフルで楽しい。誰が風船売りなのか、近くにはのんびりとおしゃべりしている老人たちしかいない。子ども連れの母親が近づくと、のんびりとしていたひとりがようやく腰をあげた。母親が、いくら?と聞いている。
私は子どもが大好きなので、道行くときに小さな子どもなどを見かけると、ついじっと見つめて笑いかけたくなる。
日本だと、子どもを連れているお母さんも、こちらの、まあ、かわいいわね、という目に気づくと、私と直接目は合わせないながらも、ちょっと微笑んだりする。可愛いわね、いいわね、幸せね、という目線を送ると、なんとなく雰囲気を察してくれて、言葉では返さないけれど、あら、ありがとう、と思ってくれている、…ような気がする。
逆の立場で言えば、姪っ子たちが小さい頃、ふたりを連れて歩いていて、じっと見つめられたり、わざわざ顔を近付けて、あらまあ、という表情をされると、いいでしょ、かわいいでしょ、とすごく自慢に思って、にっこりと笑顔を返していた。
どちらの立場からも、小さな愛らしい存在を介して同じ空気を共有し、その場がなんとなくなごやかな雰囲気になるのである。
ところが、今回北京を歩いていて、日本と同じように習慣的に子どもをじっと見つめたり、微笑みかけたりすると、私のその視線に気づいた母親から、キッと睨み返されることが何度かあって、驚いた。決して害をなそうと考えているわけではないことを、精一杯優しげな笑みを浮かべて表しているつもりなんだけど、そういう気持ちは全然伝わらないみたいだ。特に観光客が集まるような場所で、そんな傾向があるようだった。
そしたら、夜、テレビを見ていたら、ちょうど、誘拐されて売られた子どもたちが組織の摘発によって取り戻された、というニュースが流れていた。十數人もの3~5才くらいの子どもがひとりひとり婦人警官に手を引かれて帰ってきた様子が映っていた。
その中の5歳の男の子と3歳の女の子は、もともと兄妹でも何でもないのに、ある家庭で兄妹として育てられていたらしい。始め男の子を買って、その後やっぱり男の子だけじゃ物足りず女の子も欲しいと、下の子を買ったという。女の子は0歳のとき買われてきて、ふたりとも互いにすっかり兄妹と思っている。
…というニュースを見て、中國では、親は子どもを見つめる他人の目を警戒しなければならないのが一般的で、それで睨まれたのだろうか、と思った。特に、見知らぬ人が多く集まる群集の中では。
確率の問題で、そういうことは一応滅多に起こらないことになってる。
平和ボケになるくらい安全ってことだよね。
平和ボケだ、哈哈。