今年2月の河村たかし名古屋市長の「南京事件はなかったと思っている」という発言や、4月に石原慎太郎東京都知事がワシントンで「東京都が尖閣諸島を購入することにした」という発言などに対して、中國ではさぞかし批判が激しいことだろうと、北京にいる夫に様子を聞いてみると、
「いや、靜かなものだよ。どうってことない。」
とのこと。
「ええ?どうして?」
「裏で政府同士の話がちゃんとついてるんだろう。」
「へえ?事を荒立てないほうがいいって両方で了解してるってこと?」
「一昨年の漁船の件で、懲りたじゃないのかな。政治的にもめると経済的に混亂するって。」
「そうだねえ、日本と中國は、経済的にはもう切っても切れない関係だものねぇ。」
「まあ、新聞なんかでは、あの人たちは“瘋子”だから、ってことになってる。それより、今は南シナ海でフィリピンと一觸即発の狀態だから、そっちの方が大ごとだ。軍艦が出て睨み合ってる狀態だから、いつ何があってもおかしくない。」
「どうなるのかな?」
「どうだろうね。最終的には話し合いで雙方撤退するんじゃないかと思うけど。」
領土問題というのは、どちらが正しいかという判斷はとても難しい。どちらも手放すことのできない主権を主張するために自國の正しさを信じるしかないのだから。
先日読んだ『日本の名著33--福沢諭吉』(中央公論社)という本の中で、福沢諭吉の次のような言葉が印象に殘った。
「餘輩の主義とするところは、戦いを主張して戦いを好まず、戦いを好まずして戦いを忘れざるのみ。」