私は記憶力があまりよくないので、早いとこ旅行記を書かないと、どんどん忘れていってしまいそうだ。なので、とりあえず思うままにどんどん書いていこうと思う。
今回の旅は気候も體調も良かったせいか、大変楽しく充実した8日間だった。そして、ああ、私はやっぱり中國が大好きなのだなぁと、中國への愛を再確認した。
もっとも、短い旅行で部外者として眺めるだけでは楽しいのは當然で、生活してみるとまたいろいろ別の感情も出てくるのかもしれないけれど。
ラッシュアワーを避けるために、朝は比較的遅い時間からゆっくりと行動し始めたので、よくテレビを見ていた。中國のテレビは日本のテレビよりずっと麵白い。
中國のニュース番組を見ていると、自分が刻一刻と動く世界の中にいる、自分は世界の一部なのだ、という気がしてくる。日本のテレビは、閉じられた狹い領域しか語らない、井の中から狹い空を見上げている感じだ。
CCTVの海外ニュースは、ひとつの出來事について事象を表麵的になぞるだけでなく、その出來事が世界にとってどういう意味を持っているのか、客観的総合的に分析しているし、まとめ方がとてもわかりやすい。世界全體の動きがよくわかる。
それに映像やリポートがリアルに伝わってくる。タイの洪水などでは、現地のリポーターが(女性も男性も)ズボンをまくって、水の中をバシャバシャ歩いて、家の中に入って行って現地の人たちにインタビューしてる。目線が現地の目線なのだ。
ということを、夫に話したら、日本のテレビはアメリカと似てる、というので、えー?アメリカと?と意外に思って聞き返すと、
「日本もアメリカももう高度に発展した國だから、海外への関心が薄い。中國は今、発展途上で、一所懸命世界からいろんなことを學ばなきゃならないから、海外のニュースが充実してるんだよ。日本も昔はそうだったでしょう?」
とのこと。うーん、そうなんだろうか。
ただし、中國の國內ニュースは同じパターンばかりで麵白味がないと思った。生産高や成長率が何%上がっただの、黨のなんとか大會が始まっただの、僻地にどんな援助がなされただの、何かの國家的プロジェクトのためにがんばっている人々の様子だの…。政治は公けには大本営発表しかないし、日本のニュースで多くを占める事件や事故は広大な中國では數が多すぎてよっぽどの大事件でなければ全國ニュースでわざわざ流さない。
CCTVの“総芸”という芸能番組専門のチャンネルを見ていると、これもさすが人口が多く且つ様々な民族がいる中國だけのことはあって、芸の幅が広くて深い。人より突出した本物の芸を持っていないとテレビには出られない。
それから全般的にテレビでは、話が上手い、ということが必須條件であるような印象を受けた。芸能人には、臨機応変にユーモアを交えた話をぽんぽんと調子よく繰り出すことが求められる。
生活番組などで、司會者やゲストが複數いて、ある話題について話し合うときなど、あまり相手の思惑や感情を気にしないで自分の意見を率直に言うのが麵白いし、それゆえに話が広がって楽しい。
中國は広くて複雑で深い。いちいち、ちまちまと他人を慮っていたのでは生きていけない。自己主張しないと、意誌が伝わらない。
日本は狹い島國で生活習慣や文化が単一で安定している。社會全體の慣習に逆らったり、他人を思いやることを怠ったりするならば、生きにくくなる。全體の和を重んじることによって、個人の平和な生活が保障される。
ごとんごとんと大きく力強く前進している中國で、若い子達の活き活きとした笑顔を見ると、うれしくなる。いいなぁって思う。一方で、日本に戻ると、清潔で靜かな環境にほっとする。
日本は小さな池のビオトープのように平穏を保つ。各々の生態係が互いに微妙なバランスを取りながら各々の役割を果たす。小さな池は、大きな石がひとつ投げ込まれただけで、大きな波が立ち、生き物たちは右往左往する。そして池全體の平穏とバランスを取り戻そうと努力する。
中國は大海だ。魚たちは、どんな嵐もどんな波風も受け止めて泳ぎきらなければならない。一匹一匹がそれぞれの方法でそれぞれの方角に向かって泳ごうとする。
小さな池には小さな池の靜謐があり、大海には大海の希望がある。
…。
なにやら、ぜんぜん旅行記ではないような。
次からきちんと旅行記を。
めだかなら池がいい。(^_^;)