忍野八海でドライフルーツを売る露店の土産物屋があった。いろんな種類のドライフルーツがそれぞれ蓋のない淺くて四角い大きな箱にバラで盛られ、その中にまた細かく切った試食品を盛った小皿が置かれていた。
試食しようと近寄ってみると、店の主人が、私のすぐ隣で試食していた年配の女性に対して、亂暴な言葉を投げかけたので、どきっとした。
「だめだよ。試食品はこっち!こっちは売り物なんだから。食べちゃだめでしょ。」
ちょうど私も試食品に手を伸ばそうとしていたところなので、一緒に怒られたような心持がした。
女性は日本語のわからない外國からの観光客だった。
彼女は店の主人の叱責を理解したのかどうか、試食したその品を指さし、これをくれ、と身振りで示した。香港人だろうか。言葉が広東語っぽかった。主人はあらかじめ分量を量って小分けしてあったビニール袋を取り上げた。すると女性は、だめだめ、こっちが欲しい、と箱にバラのまま山盛りにしてあるドライフルーツの方を指さす。
主人は
「同じだよ。こっちもこっちも。」
と言うが、彼女は聞かない。
「まったくもう、めんどくせえなあ。この忙しいのに。」
主人はぶつぶつ言いながら、改めてライフルーツを袋に詰めて、量りにかけた。
日本語のわかる私は、客に対してずいぶん亂暴な言葉使いをするな、と隣でどきどきしながら聞いていた。
さて、帰ってからこの光景を夫に話し、
「びっくりした。お客さんに対してあんなふうに言うなんて。日本人って禮儀正しいと思っていたのに。」
と言うと、
「そっちが人間の本質ってことじゃない?」
と言う。
「うーん、本質ねぇ。」
「でも、そっちの方が楽だと思うな。無用な禮儀で汲々とするより。」
そう言えば、と思い出した。北京でこれとそっくりな光景にあったことがある。
屋台で羊肉の串焼きを買おうとした時のこと。夫が、よく焼いてくれ、と注文をつけたにもかかわらず、あまり時間を置かずに渡されたので、夫は渡された串を勝手に再びコンロの上に置いた。大忙しで焼いていたお兄さんは、夫が置いた串がコンロを占領したので手順が狂い、邪魔だ、と怒ったのである。
(その時の記事はこちら:
http://koharu65.exblog.jp/17058005/)
おやおや、あの時と同じじゃないか。
ところで、ぶつぶつ言っていた日本の主人だが、くだんの外國の客に対して、
「これ、おまけね。本當は500グラムだけど、あと350グラム足しとくからね。」
と言いながら、わしづかみにしたドライフルーツをさらに足して袋にいれていた。
その後、私が買った時も同じように、おまけだと言って封をしていない袋に一摑み足したので、おまけだと言いつつ、もともと850グラム分の値段だということなのだろう。言葉がどうであれ、相手が誰であれ、ここには、ただ、グラムいくらの公平な経済活動があるだけだ。
ただし、日本の主人は、言葉の通じる日本人相手には決して、始めに述べたような亂暴な言葉を麵と向かって投げかけるようなことはしないだろう。
中國の串焼き屋のお兄さんは、言葉の通じる客に向かって遠慮なく本音を吐く。
夫の言う通り差異のない本質があると同時に、一方で、日本の、身もふたもない本質をなるべく包み隠そうとする繊細さと、中國の、本質を露わにすることを恐れない逞しさと、気質の違いもまた感じる。