個人資料
正文

日本國は誰のもの?

(2011-06-03 22:09:26) 下一個
 
 前々回、大阪府維新の會が提出した君が代起立斉唱條例の話に觸れた。
 この話を夫にしてみた。

 「思想良心の自由じゃなくて、組織マネジメントの問題だって。今時は、思想良心よりも、組織の経営が大事ってことらしいよ。」
 「そう言ってても、それは思想の問題に決まってる。」
 「え?橋本知事は、そうじゃない、って言ってるんだけど。」
 「それは表麵上でしょ。根っこにあるのは愛國的精神に違いない。けど、そこは觸れられない問題だから、そう言うんだよ。愛國っていうのを追及していくと、天皇に行き著くけど、それは日本人にとって言ってはいけないことになってるから。」

 私がちょっと考え込むと、夫が聞いた。
 「日本國って誰のもの?」
 言葉につまってしまった。國民のものと答えたかったが、そう斷定するのはなんだか気が引ける。すると、夫は、
 「天皇のものでしょ。」
と、こともなげに言う。
 「えー、それは、ちょっと違うと思うな。」
 「違わないよ。天皇は日本國の象徴でしょ。」

 「それにしても、君が代の問題って、ひと昔前はもっと盛んに論議されてたんだよ。とすると、それすら語られなくなった最近の社會は言論の自由という點では後退してるってことなのかな?」
と、私。
 「日本人ってそういうものでしょ。」

 この會話の時點では、今の時代日本國が天皇のものだなんて考える人はいないのに、と思っていた。しかし次の日、ふと君が代の歌詞が頭に浮かんだ。そうか、“君が代”とは、“天皇の世”なのだった。そしてそれは千代に八千代に続くのだ。
 そして、日本人は、いったん社會の大多數が現狀を肯定してしまったら、それに抗うことが困難な性質を持っている。今まで続いてきたものは、これからも永遠に途切れなく続くのが自然だと感じる。継続的な関係性を、意誌の力で斷ち切ることはとても難しい。


 
[ 打印 ]
閱讀 ()評論 (0)
評論
目前還沒有任何評論
登錄後才可評論.