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(2008-05-22 04:57:13) 下一個

  
  中學の頃、校庭で友達が転ぶと、女の子の集団が我先にと駆け寄った。砂だらけになった膝を抱えて涙ぐむ友に、「大丈夫?」と、皆、口々に聲を掛ける。私は輪の外にひとりぽつんと取り殘されて、困惑していた。どうして、駆け寄って慰めの言葉を口に出すことができなかったのだろう。転んだ子の膝の痛さにすぐさま反応してすっと寄り添うことができない頑なさがある一方で、親身になって同情しなくてもそれを隠して適度にお愛想を言える如才のなさを持ち合わせていなかった。

 先日、姪の運動會を見に行ってきた。下の子は小學校に入って初めての運動會で、選抜リレーの選手に選ばれ、はりきると同時にとても緊張していた。上の子は徒競走で、去年も一昨年も5人中3位まで貰えるリボンが貰えなかった。自分では精一杯速く走ったつもりで、ゴールするまでは周りの様子など見えてなかったから、そんなに遅い順位だとは思わなかったらしい。順位の旗の下に連れて行かれようやく気付いて、しばらくは必死にこらえていたが、席に戻ると大泣きに泣いていつまでも泣き止まなかった。それが今年は、午前中の徒競走で早々にリボンを貰え、終始にこにこと運動會を楽しんでいた。

 運動會の最後のプログラムが選抜リレーで、下の子の組は始めから終わりまでトップで、安心して見ていられた。途中、ビリを爭う組の子の一人がバトンの受け渡しに失敗し、大きく離された。落ちたバトンを拾って焦って飛び出したところ、すぐに今度は足がもつれて、ああ、と思った瞬間、その子は私の目の前で大きく転んだ。私はバトンを失敗した上に転んでしまった男の子の気持ちを慮った。けれど男の子はすぐさま立ち上がり、走り出した。その立ち上がった瞬間の表情がとても印象的だった。苦笑いしたのだ。悔しさでも悲しさでも恥ずかしさでもない、ただ、転んだという事実と再び走り出すことを受け止めただけの苦笑い。のびのびとした精神がそこにあった。私はなんだか胸が熱くなった。
 
とてもいい運動會だった。

 

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