這首歌在Southern All Stars裏麵並不算特別有名氣,甚至可以說屬於很minor的一類。但歌詞意象豐富,曲調優美,與原由子的極有特色的嗓音相配可稱為天作之合。
可惜youtube上沒有很好的演唱會錄像。
同時找了個背景知識介紹,感興趣的可以參考 – 另一個伊豆舞女的故事,隻是更加淒清些。
唐人物語~ラシャメンのうた
名もないこの街に
異國の陽がのぼる
乙女は悲しみを
禦國のためと知る
春まだ夜は長く
鐘鳴る 了仙寺
運命と泣くも良し
儚き世の情け
下田港を訪れた黒船(ふね)が
沖遙か彼方に揺れ
駕篭で行くのは時代に翻弄(あそ)ばれた
眉目清か麗しい女性(ひと)
桜見頃の唐人阪で
巡る想いは ひとりひとり
泣けば花散る一輪挿しの
艶な姿は春の宵
月冴え照る道に
椿の濡れまつ毛
世を捨て 世に追われ
旅発つ稲生沢
明けの烏と謡われしことは
今遙か昔の夢
死ぬは易くて 生きるは難しと
三味の音に託せし女性(ひと)
石や礫でラシャメン結いに
後ろ指さす ひとりひとり
戀の涙と雨降る中を
己が愛した男性(ひと)は去く
桜見頃の唐人阪で
巡る想いは ひとりひとり
泣けば花散る一輪挿しの
艶な姿は春の宵
春の宵
桜舞い
(詞/曲 桑田佳祐 1998年 SAS『Sakura』収録)
【Looking Back】 SAS 『唐人物語 ~ ラシャメンのうた』 を聴く
名もないこの街に
異國の陽がのぼる
乙女は悲しみを
禦國(みくに)のためと知る
曲のタイトルと出だしの4行を読めば、
この曲が誰を歌ったものか、ピンと來る人も多いのではなかろうか。
「唐人お吉」は、日本人が好む話のモチーフである
「悲劇」のヒロインの一人として、多くの人の記憶にある。
時は幕末開國の時代。
ペリーの黒船來航の後、再び通商を要求する特使として
伊豆下田に駐留したハリスの下に、
多額の支度金と引き換えに奉公に通うことになったお吉。
「新內明烏」を十八番にし、「明け烏のお吉」と呼ばれる
評判の芸姑だった彼女の人生は、
そのことをきっかけに大きな変化に見舞われることになる。
わずかな期間で事実上暇を出されるも、
世間の人々からは「洋妾(これをラシャメンという)」「唐人」と罵られ、
その後は追われるように居所を変えていく。
その過程でかつて愛し合った鶴鬆とも結婚し、
下田に戻り髪結い業を始めるもやがて離別。
晩年、小料理屋を営むも破産し、終には稲生沢川に身を投じた。
そのとき彼女は49歳(51歳説もあり)。
不遇の人生の中自然と酒におぼれるようになり、
最後は心身ともにボロボロだった、とされる。
さて、この「お吉物語」。
実は、史実と食い違っている部分も多いという説が根強い。
むろん、彼女が時代の波に翻弄された女性であることには変わりないが、
多くのお吉物語に見られるような、ハリスとの色戀や、
彼女の実直な性格などの細部は、
史実が小説となり、あるいは舞台で演じられ、
または幾度となく映畫になる中で、
日本人の好みにデフォルメされていったものであるらしい。
お吉物語の解釈には様々なものがあるが、
おそらく代表的なのは、彼女の菩提寺であり、
現在「お吉記念館」なる観光施設も併設される寶福寺で、
お吉の説明書きにそえられたこんな一文だろう。
曰く
「お吉の悲劇的生涯は私達に、人間が人間を殺す『偏見』と『権力』
その底にひそむ罪の可能性と愚かさを身を以て教えているようです。」と
この一文は、長いあいだ「お吉物語」が日本人に
啓蒙の響きを含みつつ愛されてきた理由を
端的に表しているように思う。
しかし一方で、わたしには、このような解釈が
當時の彼女が置かれた狀況を、
少しはずしているようなものに思えてならない。
そのことを考えるには、
當時の日本人にとっての「アメリカ人」が
いったいどんな存在だったかを考えなければならない。
當時の庶民の多くにとって、
彼らの世界はせいぜい江戸と自分たちの住む城下町しかなかったはずだ。
中には、自分たちが住む城下町だけが
世界のすべてだと感じていた人もいた、という。
そんな中で、「アメリカ人」とは、彼らの想像を遙かに超えた存在であり、
それゆえときに「恐怖」の存在でもあったはずだ。
そう考えてみると、「お吉」への「罵聲」は、
今私たちが考えるような
「金をもうけやがって」とか
「國を売るやつめ」というような、
ある意味理性的なものではなかったのではないか、と思うのだ。
もっと原初的で感覚的な、いってみれば、
わけのわからない恐怖心に支えられた罵聲。
彼女が浴びたのは、そういったものではなかったか。
同時に、たかだか下田という小さな港町の芸姑で17歳だった彼女が、
見たことも聞いたこともない「異人」ハリスを目の前にしたときの衝撃は、
相當なものだったはずなのだ。
悲しいことでもあるが、どうにもならないことして、
人にはその時代に拘束されたものの見方がある。
言い換えれば、長い鎖國で「海外」などというものの情報がなかった時代、
「人間」というものの中に「外國人」などというカテゴリーがなかった時代に、
彼女は奉公を命じられ、そこに通った。
そして、同じく、「異人」のなんたるかがわからず、
そのわからなさ故の恐怖心を抱えた聴衆の罵聲の中に
お吉の姿はありつづけた。
それは今私たちが考えるよりも
おそらくずっとずっと痛烈で
身の切られるような経験だったのではないか。
私にはそう思えるのだ。
彼女の命日は3月27日。
少し早く咲いて散る「桜」にその姿をダブらせたのか、
「お吉物語」はしばしば「桜」をモチーフにして語られる。
日本人の心の花である「桜」と
心の物語とも言える「お吉物語」。
彼女を詠った曲を収めたアルバムのタイトルもまた
sakura という。
原文出處
http://sora-takasugi.jugem.jp/?eid=15