昨日紹介した中國ドラマ『蝸居(カタツムリの家)』がすごくおもしろいと思ったので、北京の夫に、見たことある?と聞いてみた。すると、
「見たことはないけど、噂には聞いてる。」
とのこと。見たいと思わないの?と重ねて聞くと、きっぱりと斷固として、見ない、と言う。現実的なドラマは見ないのだそうだ。
「え~、でも、このドラマは現実的だけど、それだけじゃなくて、社會批判があると思うよ。」
「そういうのは、今、中國の流行りだからね。」
そうか…。流行りなのか…。
そう言えば、ちょっと前に夫が紹介してくれたお薦めの映畫は『山楂樹之戀(サンザシの戀)』という純愛映畫であった。
『サンザシの戀』
中國の70年代から80年代にかけての文化大革命中、ちょうど日本の戦時中のように結婚前の男女交際が厳しく監視されていた時代のお話です。初心な青年と少女が純粋な戀をするお話。戀する二人とそれから背景の田舎の光景が、もう美しくて美しくて。まるでこの世のものとは思われない桃源郷に入り込んだよう。
ストーリーは本當にシンプルなので、あえて紹介しません。昔、『一杯のかけそば』という話が流行ったけれど、あれもただあらすじを言ってしまえば、なんのことないのですよね。物語と言うのは、あらすじだけじゃない、それをどう語るか、どう見せるか、「語り部」の力というのが重要な役割を果たしてるのだということをつくづく感じます。
さすが、巨匠、張芸謀督。映像として美しく見せる手腕に長けていると思いました。
興行的には大成功をおさめているらしいですが、一部の評論では、評価が低いようです。深い思想がない、とのこと。しかし、いったい何を以って「深い思想」と言うのか。『サンザシの戀』は、純粋な風景の美しさ、純粋な人間の感情の美しさを、どう観客に伝えるか、練りに練られて作られた作品だと思いました。
この映畫が批評家に“深い思想がない”と低く見られるということと、夫の言った現実を描く社會批判的なドラマが今の中國の“流行り”だということとは、何か関連があるような気がします。
『サンザシの戀』は、現代の中國に失われた、或いは忘れ去られようとしている純粋な風景や感情を再現することによって、人が如何に美しい心を持ち得るかということを思い出させ刻みつけるという意義を持っていると思います。
熟練の俳優ではどんなに上手く演技しても、本當の少女や青年の純粋さは表現できないということで、主人公の二人はオーディションで選ばれた新人で、この映畫がデビュー作だそうです。
ヒロインの女の子が、まあ可愛くて可憐で素樸で。演じたのは周冬雨という18歳の、まだ高校生の女の子です。
さて、話を元に戻せば、映畫とドラマを比べるのはそもそも無理があるかもしれないが、確かに『サンザシの戀』は見ていて心が洗われるような気持ちになるけれど、『カタツムリの家』は、特にその現実の社會の中に生活している人間からすれば、既に見飽きてうんざりするばかりだと思うのにも頷けることではある。
因為我覺得上次介紹的電視連續劇“蝸居”非常有意思,所以問了我丈夫,你看過了沒有?
他回答說:“沒看過,但聽說過。”
我再問“你不想看嗎?”,他斷然地說“不看”,還說“我不看現實的”。
“可是,它不隻是現實的呀,而是對社會批評的。”
“那種東西,現在在中國很流行。”
哦,是嗎。。。,是流行嗎。。。
這麽說我想起來了,以前我丈夫給我推薦的電影叫“山楂樹之戀”,是描寫純愛情節的電影。
《山楂樹之戀》
這部電影是中國70年代文化大革命中,正像日本二戰時代,對結婚之前的男女關係管理的特別嚴格的時代的故事。是純潔的青年少女談純粹的戀愛的故事。談戀愛的這兩個人的模樣和農村的風景都很漂亮、非常美麗,觀眾會感到貌似誤入了世外桃源的樣子。
情節很簡單,不必介紹。情節上它沒什麽特別的內容,但一個電影作品中情節並不是最重要的,更重要的是把它怎麽講、怎麽表現的具體方法,這是跟講述的人的具體能力有關係。
張藝謀導演還是巨匠。他擅長怎麽構造美麗的風景從而給人印象深刻表現怎麽的感情。
雖然演出成績很好,可是聽說一部分的評論不怎麽好,說是這部電影沒有很深的思想。“很深的思想”指什麽呢?評論家認為它沒有很深的思想,與我丈夫說的現在的中國流行描寫現實生活並對社會批評的劇作,我想這兩點好像有什麽關聯。
“山楂樹之戀”再現啦現在的中國失去的或要忘記的純粹的風景和感情,我覺得它用這種方法讓人們想起並刻畫人能擁有那麽純粹的感情,這是很有意義的事。
導演認為如果采用熟練的演員,演得怎麽好也表現不出來真正的青年少女的純潔,所以主角的兩個人通過海選從很多人中被選出來的新人。兩個人都以這部電影是最初出演的作品。
女主角多麽可愛多麽純樸!演的人才18歲是高中學生,名字叫“周冬雨”。
話回到前麵,也許本來電影作品與電視劇不能比較起來,可我承認確實看“山楂樹之戀”時,感覺心裏被清潔得很幹淨,可看“蝸居”時,特別對在那社會的現實中生活的人來說,已經看膩而夠煩的了。