個人資料
正文

私が中國を好きな理由

(2010-12-10 05:22:20) 下一個
 
 前々から時々考える。私が中國を好きな理由は何だろうと。
 きっかけはたぶん、さだまさしが作ったドキュメンタリー映畫、『長江』を見たことだろう。長江の源流を探るというテーマで、さだまさしが長江沿いをずっと旅する映畫だった。映畫の中でみた中國の壯大な景色に魅せられた。
 それから、中學3年生のとき、杭州へツアーで旅行に行った。まだ皆、人民服を著ていた時代で、色のない時代。早朝、西湖沿いを散歩すると、朝もやで霞む湖畔に薄墨色の人影が三々五々浮かび上がる。ジョギングする人も、急ぎ足に出勤する人もいない。なにをするでもないただゆっくりと歩く人々。車の音ひとつしない。喧騒のない、しんとした空気。まるで掛け軸の中の水墨畫に紛れ込んでしまったかのよう。本で読んだ胡蝶の夢そのものだった。

 今は中國もすっかり様変わりした。水墨畫の靜けさから、色彩溢れる喧騒へと。私が初めて出會った頃の中國を懐かしくは思うが、今の中國もまた魅力的だ。

 近頃思うのは、改革開放以來の中國は拝金主義と評されたりもするが、それすらもまた時代の一時期の潮流に過ぎず、中國の民眾の根底に昔から今まで綿綿と受け継がれ続けているものとは儒教の伝統ではないかということ。マルクスも毛沢東も結局、孔子には勝てない。梃子でも動かない濃密な民眾の文化がそこにある。

 あれこれと考えていると、結局これは評価の問題ではなく、嗜好の問題なのだということに思い至る。じゃがいもが好きな理由や玉ねぎが嫌いな理由を説明するのは難しい。私は中國に惹かれる。ネズミがお米を好きなように。


『ねずみは米がすき』(『老鼠愛大米』日本語版)



   《我喜歡中國的理由》
   從前有時候我思考,我為什麽喜歡中國呢?
   我喜歡上中國的最開始可能是看了佐田雅誌做的電影記錄片“長江”。因為它是探索長江的源流為主題,佐田雅誌他本人沿著長江走到峨眉山的旅行記片。我迷上了電影裏的中國的壯麗的風景。
   後來我初中3年級時,參加了去杭州的團體旅遊。那時大家都還在穿中山服,是沒有顏色的時代。清晨在西湖岸邊散步,從白色的薄霧中淡墨色的三三五五的人影出現。沒有人跑步,沒有人匆匆忙忙要上班。人們不是在做什麽的,隻是慢慢地走路。汽車的聲音都沒有。沒有嘈雜,空氣很清澈。像進去了水墨畫裏,像從前書裏看過的蝴蝶夢似的。

   現在,中國變得很多。從水墨畫的寧靜變成色彩豐富的嘈雜。雖然我懷念第一次體驗的那時候的中國,可是對我來說現在的中國也很有魅力。

   最近我想,改革開放以來的中國往往被叫拜金主義的社會,但連這個也是一個時期的潮流而已,從古到今中國老百姓的骨子裏綿綿繼承的是不是儒教的傳統?馬克思或毛澤東都贏不過孔子。中國擁有一動也不動濃厚而細膩的文化。

   這麽想來想去,我想到了總之這不是評價的問題而是嗜好的問題。不容易說明喜歡土豆或不喜歡洋蔥的理由。我就是喜歡中國,像老鼠愛大米。


 
[ 打印 ]
閱讀 ()評論 (0)
評論
目前還沒有任何評論
登錄後才可評論.