北京では、天安門も故宮も萬裏の長城も十數年前ときっと変わりはないだろうと思い切って割愛し、胡同と呼ばれる昔ながらの下町を散策したり、手作り餃子を食べたり、美容院へ行ったり、お土産を買ったりと、ぶらぶらとしているうちに4日間があっという間に過ぎてしまいました。その合間に、高速列車(新幹線)に乘って天津に日帰りで行ってきました。「狗不理包子」という包子で有名な老舗でお晝を食べ、それから租界時代の古い洋館のある町並みを馬車で巡りました。
「狗不理包子」の包子は値段ほどではなかったような。でも、中國滯在中一番おいしいと思った包子がセブンイレブンの肉まんだったので、単に私の舌がたいしたもんじゃないということなのかもしれない。
「狗不理包子」は少し前までサービス麵での評判が地に落ちていましたが、最近同仁堂という漢方薬の會社に買収されてだいぶん持ち直したそうです。
天津という街についておもしろい話を聞きました。
中國沿岸部の大都市はすでに資本主義にどっぷり浸かっているというのに、天津は未だ社會主義に留まっている街だそうです。仕事が終わればまっすぐ家に帰って自宅でご飯を食べ自宅で飲む。だから夜が早い。ランチタイムを過ぎると、夕飯時まで閉まってしまう食堂が多い。改革開放以降、どこでも商業主義が蔓延している昨今、しかも首都北京から新幹線でたった30分の距離なのに、天津に入ると社會主義的な空気がどっしりと居座っています。上海のタクシー運転手が自慢げに口にしていた“もう全然社會主義じゃない上海”という言葉を思い出しました。
新幹線が出來る前の天津市長の期待は、北京の人がたくさん天津に観光や食事にやってくることでした。しかし実際に蓋を開けてみると、天津は海産物が安いので北京から食事に來る人たちもたくさんいるにはいるのですが、それ以上に、天津から北京へと人が流れていきます。特に若者が買物や遊びで北京に流出し、天津市長の思惑は大きくはずれてしまいましたとな。
どうして天津ってこんな感じなのと訊ねたならば、港灣都市で昔から荷役という體を資本にして生計を立てている人が多かったから商人的な気質とは違うんだろう、という答えが返ってきました。都市もいろいろですね。
北京から天津までの新幹線の普通席です。大きなテーブルがついていました。めずらしい。上海から嘉興まで乘った新幹線の普通席にはありませんでした。
天津駅。立派!広い!
天津駅前の時計。二本の腕の先は太陽と月。なかなか見事なデザインです。
馬車で廻った數々の洋館。道中ずっと、若いお姉さんが、マイク片手に立て板に水の解説をし続けてくださいましたが…、ごめんなさい、ほとんど聞き取れませんでした。それぞれ由緒あるお屋敷のようです。
下の寫真は“新イタリア街”と呼ばれる區域です。ヨーロピアンな町並みにおしゃれな喫茶店とかレストランとかが入っているのですが、店に出入りしてるお客さんはほとんどいない。その代わり區域まるごとブライダル寫真のスタジオと化して賑わっていました。
幸せいっぱいのカップルに微笑ましさを感じるよりも、一生に一度の裝いに掛ける女性の意気込みに圧倒されます。男性は言うがまま? こ~れ~が愛♪ あれ~も愛♪ みんな愛♪ きっと愛♪
一番下の寫真は、普通に人が住んでるアパートです。赤い車との対比が美しかったので。