裁判員製度について
(2009-05-20 18:08:01)
下一個
裁判員製度が話題になり始めてからずっとその必要性について考えている。
製度のしくみや実際の手続きについての記事は數多く見かけるのに、なぜこの製度が必要なのか、これによって世の中がどう変わるのか、未だに納得のいく説明を聞いたり見たりすることがない。
身近な人に聞いたならば、こう言った。
「そりゃ、より民主的な世の中を作るためだろ。」
この答えは手掛かりになりそうな気がする。
新聞などでよく「自分に人を裁けるのか」或いは「自分は人を裁きたくない」という意見を目にする。
私たちが暮らしているこの社會では、私たちは自分で犯罪者を裁かずに、専門の機関が犯罪者を裁いている。そしてそれによって社會の治安が維持されている。
裁判所の裁判官たちが行っている人を裁くという行為は、私たちの生活と全く無関係に存在しているわけではなく、“彼ら”が公平に人を裁くことによって“社會”の治安が維持され、ひいては“私”の安全が守られる。私は確かに自分で直接犯罪者を裁いてはいないけれど、その代わりにその行為を裁判所という公的機関に委託していると言えるのではないだろうか。
だとすると、意識していないけれど、実は私たちは間接的に不斷に人を裁き続けているのではないか。
裁判員製度の導入が、そのことを國民に意識させるのを目的としているのならば、大いに意義があることだと思うのだが、この考えが合ってるかどうか定かではない。
知り合いと裁判員製度について話をしていたら、彼は
「僕は通知が來ても絶対に応じないつもりだ。」
と言った。
「どうせ罰則規定はないんだしさ。斷わっても平気だよ。」
「えー、私は、おもしろそうだから絶対行くけどな。」
「だって、怖いと思うよ。まだ始まったばかりで、製度にしっかりした規定がないんだよ。何の保証もない。大丈夫だ、安全だって口で言うだけで、犯罪者に麵と向かって関わるようなことして、実際に何かあったらどうする?」
そうか。私は彼の言うような“怖さ”を全く認識していなかった。
彼は犯罪者に麵と向かって関わることの具體的な危険性を“怖い”と言ったわけだが、それ以外に、責任を負うことの重さに対する“怖さ”もあるだろう。
そう思うと、実は、「人を裁けるのか」「裁きたくない」と言う人々の方が、「おもしろそうだから」などと思った私よりずっときちんと事の重大性を認識していたのだ。
個人が直接的に人を裁くのに関わることと、裁判官が人を裁くことの違いは何だろうと考えてみる。
裁判官は組織の代理人であり、権力を背負っている。彼らは、公平であり中立であるはずだという信頼の元に専門職として公的機関に屬し職務を遂行するのだし、具體的な危険性からは権力を以って保護されている。
やっぱり裁判官に任せたほうが安心、安全なんじゃないか、と思ってしまう。けれどそれは、強い組織(或いは権力)と弱い個人という図式が多くの人に共通の認識としてあるからじゃないだろうか。個人にそんな責任の重いことできない、プロじゃないからそんな能力はない、恨まれたら怖い、守ってもらえない等々。
組織としての強さと個人としての弱さ、こういう固定観念があるとしたら、裁判員になって重い責任に麵すること、怖さに立ち向かって正しいことを行おうと努力すること、公平さや冷靜な判斷力を求められることは、個人を強くするためのひとつの訓練としてとてもいい場となるのではないだろうかと思う。訓練の場なんて言い方をすると、裁かれる側からすると、とんでもないと思われるかもしれないけど、実は、一般の市民の集まりが下す判斷はプロの一人が下す判斷よりも時として感覚的に正しいこともあるかもしれない。権力が下す決定ではなく、個人の集まりによる合意が下す決定がある種の力を持つという製度の存在は、社會的に個人の力や地位を強める方向を促進するのではないか。
つまり、裁判員製度というのは、參加する個人にとっても、社會全般にとっても、個人の持つ力を強化することに繋がる。権力に対する個人の地位が相対的に上がり、より民主的な社會の形成に寄與するという可能性を持った製度であると言えるかもしれない。
そんなふうに自分だけの想像をめぐらせていたら、たまたまNHKのクローズアップ現代で裁判員製度を取り上げていたのを見た。
アメリカの陪審員製度の例では、市民が陪審員の役目を果たすことは“地域社會への奉仕”と位置づけられているのだそうだ。うーん、それは一足飛びの先の話のような…。アメリカという、権力と同じくらい個人の力が重んじられる社會だからこそ、そういう論理が當然と受け止められるのではないかという気がする。
私が知りたいのはその前の段階、なぜ裁判員製度が“地域社會への奉仕”になり得るのか、そしてなぜ我々は奉仕する必要があるのか、ということなんだけどな。そんな理屈は知る必要がないんだろうか。
[訂正]
後から知ったのですが、裁判員に選任されてから正當な理由なく裁判を欠席すると、10萬円以下の過料の製裁を受ける場合があります。上記、罰則規定がないと書いたのは誤りでした。訂正します。