先日BBSで、「日本人女性は賢いか、それともお馬鹿さんか?」というトピックを読んだ。筆者は中國人男性である。(原文は中國語)
要約すると次のような內容になる。
頗る女好きの日本人男性が、如何に妻にばれないよう女遊びをするか、如何に上手く妻をごまかすか、ということを常日頃自慢していた。彼は中國に単身赴任して、現地妻として20代の女性と同棲していたが、わざわざ寫真まで見せてその女性のことを妻にこう説明した。カラオケ・バーで可愛い女の子と知り合ったが、田舎に子供もいて、経済的に苦しい生活を送っている。身の上を聞くと気の毒なので、売上に貢獻するために彼女のいるバーに通っている。お酒を飲んだりおしゃべりするだけの仲である、と。
全てを隠すより、差し支えない程度の話を妻に話しておいたほうが疑われずに済む、というのが彼の持論であった。そして、その思惑どおり、夫が一時帰國で日本に帰り再び訪中するときなど、妻はわざわざ中國の女の子の子供にと、おもちゃなどの手土産を持たせたりして疑う様子は微塵もなかった。
ところが、妻は、夫が退職し、退職金の振込みを確認したその日に離婚を申し出、退職金の半分を手に第二の人生を歩み始めたのである。妻は、実は夫の浮気を疑わないどころか、夫のしてきたことをすべて把握していて事実を突きつけ、有無を言わさず離婚を承諾させた。
夫はかつて妻が如何に世間知らずのお馬鹿さんであるか、ということを意気揚々と語っていたが、実は彼こそお釈迦様の手の中で遊ばされていた孫悟空であったのだ。
日本人女性は果たして賢いのだろうか、それともお馬鹿さんなのだろうか?立派な妻なのだろうか、それとも恐ろしい妻なのだろうか?
この文章に対して、中國人女性が返信した。
「お馬鹿さんなんじゃないの?気にしなければならないときに知らんふりして、知らんふりしなきゃならないときにこだわる。日本人女性がわざわざ自分を早くに一人暮らしの孤獨な老人にしてしまうことに何のメリットがあるのかわからない。夫婦であった半生がまさか、お金のためだけってわけじゃないだろうに。」
ああ、本當に彼女の言うとおりだと思う。とても真っ當な考え方だ。自分の人生をきちんと見據えてアレンジする、自らの力で自分にとっていい狀況をその都度作っていこうとする強い意誌が感じられる。
日本人女性が賢いかそうでないかはさて置いて、ふと、私だったらどうだろう、と考えた。私も、夫の浮気を知っても、おそらく黙って知らんふりをするだろう。理由ははっきりとはわからない。
“妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ…”などという唄の文句がある。夫婦というのは互いに自然に寄り添うもので、夫婦間の愛情というのは自然に生まれるものであって、相手に愛を要求したり請うものではないと、漠然と思っている。だからもし夫の心が離れるのならば、私はそれを靜かに見守るだろう。
これは身に染み付いた古風な美學なのだろうか。或いは美學という鎧の下に恐ろしく高慢なプライドが隠されているのだろうか。
そんなことを考えていたら、たまたまあるクイズ番組で“妻が夫の浮気を発見したきっかけは?”という問題が出されたとき、司會の島田紳助がこんな話をした。
ある朝起きてリビングに下りたら、テーブルの上にまっぷたつに折られた自分の攜帯電話が置いてあった。
「何でや?何で攜帯、折ったんや?」
「理由は何や?」
「昨日、朝ごはん殘したからか?それとも円高か?」
「理由はこのふたつしか思い浮かばん。ふたつのうちのどっちだ?」
妻が黙ったままなので、彼は1時間後に再び聞いた。
「何で攜帯、折ったんや?」
妻は叫んだ。
「円高!」
そして畫麵の中で紳助は、攜帯折ってもいい、折ってもいいから理由は円高にしてくれ、それでちゃんと胸にずしんとくるから、と語った。
賢い夫婦関係とはこういうものなのかもしれない。