個人資料
正文

ほどほどが一番

(2008-09-11 18:57:12) 下一個

 
 先日道を歩いていたら、後ろから高校生が私を自転車で追い抜いていった。何気なくその背中を見やると、白い T シャツの真ん中に縦書きで『ほどほどが一番』と描かれていた。すぐに、ひと昔(ふた昔?)前大きく太く真っ黑な筆文字で力強く『一番』と書かれた T シャツが流行ったことを思い出した。同じ一番でも目の前を走り去る一番の文字はグレー色をしていて、『ほどほど』という平仮名が優しく柔らかくそれを修飾し、字數が多い分、各々の字は必然的に小さくなっている。その謙虛さと穏やかさに思わず笑みがこぼれた。
 そういえば最近、『悲愴感』という歌を聞いたが、なんとも謙虛、かつ、分不相応なものは求めないけれど自分なりに精一杯ぎりぎりのところでがんばってる、という歌だ。昔は芸能人と言えば、特別な才能がある人や抜きん出て容姿端麗な人だったのだろうが、彼らの歌或いはキャラクターはおそらく何の取り得もなく埋沒する「その他大勢」の代表として共感を得ている。(本當は彼らとて何の才能も努力もなしに今の仕事に就けたとは思えないが。)
 もともと『悲愴感』は、島田伸介のプロデュースした『羞恥心』の二番煎じで、『羞恥心』もまあ悪くはないと思うのだけれども、アラジンの『陽は、また昇る』に至っては違和感を禁じえなかった。一過性の流行曲が大眾に受け入れられるために如何に時代の空気を読むかがポイントとなるならば、『悲愴感』の方が『陽は、また昇る』よりも共感を得る度合いがずっと大きく、時代性をよりよく汲み取っていると思う。

  『悲愴感』 http://jp.youtube.com/watch?v=0ex-Ai-qRFU
  『陽は、また昇る』 http://jp.youtube.com/watch?v=QD0TVVWiqlE
 

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