2008 (142)
2009 (130)
2010 (94)
2011 (140)
なんだか大げさなタイトルだが、ただの夢の話。
ある町で、エイリアンか何か得體の知れないものに、人々が體を乘っ取られていく。乘っ取られた人は、外見は変わりないが、全くの別人になってしまう。感情のない人間らしくない生き物となって、冷たい目をして街中を歩いている。私は彼らから子供たちを守るために、そして、肉體を乘っ取られた人々をなんとか元に戻そうと、數人の仲間と共に町に滯在している。町を歩く時は、私自身も彼らの仲間だというふうに演技しなければならない。仲間でないとばれたら、襲われるのだ。私たちは警戒しながら町のあちこちを探る。周りの人間がすべて恐ろしい敵だという緊張感が、次第に私の體力と気力を奪っていく。
町中がすべて占拠されて、私たちも追い詰められ、もうだめだと思ったとき、別の街から大勢の人間が橋を渡ってやって來た。以前同じような目にあって私たちの組織が助けた別の町の人間たちが、私たちを助けに來たのだ。
ふと気が付くと、私は時計屋の一角で布団に寢かされている。私は町が元に戻ったことを知る。友人が私に抱き枕を差し出して、ゆっくり眠るように促す。私は枕を両腕両足で抱え安心して眠る。
長い眠りから覚めた後、私は気力と體力が回復していることを実感する。気分がとてもいい。起き上がって時計屋のショーウィンドウを眺める。見るからに安物のシンプルな掛け時計や置時計が並んでいる。それから輝きのない古びた寶石類。友人が隣から「偽物でしょ」と聲を掛ける。恐竜の形をした用途のわからない置物。ショーウィンドウの向こうには背が低く小太りで頭の禿げた時計屋の親父が立っていた。私はその主人の表情を見て、ああ人々は元に戻ったのだと、改めて心からほっとするのだった。
実を言うと、この夢の前半は2,3週間前にネットで見た古い SF 映畫『スナッチャー』にそっくりだ。格別麵白くも印象にも殘らない映畫だったのに、しかも半月以上も前に見た映畫だったのに、なぜ今頃夢に見たのか不思議で仕方がない。けれど、夢の後半、時計屋の場麵以降はオリジナルで、深く心地の良い眠りから目覚めたときの充実感や安心感が忘れられない。溫かな世界が回復したのだと思った。
そうですね。無常さんの言うように、無意識の領域に焼きついていたのでしょうね。派手なシーンがなかっただけに、かえって意識下に殘ったのでしょう。そう思うと、なかなか人の心理を突いた名作だったということかもしれません。
論壇のあれは、かなり長い間考えた末に書いたものです。
過分の褒め言葉、恐縮です。前にも、頭を下げるのが苦手だ、と言っていた中國の若い子がいて、その気持ちもわからないではないので、どう書いたらいいかな、とだいぶん考えました。
あ、そう言えば、あの一言は難しすぎます。禪問答のようで、もし理解できたら解脫できるかも。。。
コメント、ありがとうございました。そのうち、チャット室の方にも顔を出します。
その映畫見たことあります。
グロテスクではなかったけど、心理的な恐怖はありましたね!
地球外生命體の地球侵略の映畫はたくさんありますね!
暫らくして、夢に見る!! そんな事は私にも経験ありますよ
そう不思議な事ではないと思います。 深層心理に焼きついたものなんでしょうね!!
論壇の発言には感服しました! 見事です!!
一言にもチャット室にも顔を出してください、心よりお待ち申し上げます
で哈で哈 合掌 阿彌陀仏~~