2008 (142)
2009 (130)
2010 (94)
2011 (140)
中學の頃、私は頗る內向的であった。今でも外向的な性格とは言えないけれど、中學生の私は自分の殻に閉じこもっていたのだと思う。
當時、卒業前に各自色紙を用意してクラスメートに回覧し色紙の持ち主に対しメッセージを書く、という慣わしがあった。戻ってきた色紙を見ると、その中に「何を考えているかわからないお人やな。」という言葉があった。耳慣れない関西弁だったせいもあって(私の地元は関西ではない)、その言葉は私の脳裏に焼きついて、いつまでも忘れなかった。
それから10年以上経った同窓會でそのクラスメートに再會した私は、たぶん覚えていないだろうけど、と前置きをしたうえで、彼に色紙の話をした。すると、意外なことに彼は
「覚えてるよ。」
と言った。
「わざと書いたんだよ。」
冷凍保存された中學生の私に貼り付いていた氷がすうっと溶けだしていくような感じがした。外部から切り離されて自分のイメージの中だけで存在していた中學時代の自分という記憶の像が、彼のその言葉によって、“今”という時間と繋がって外部との接觸を取り戻したのだ。當時の彼の言葉とそれを覚えていた今の彼の記憶と、それから私自身の記憶とが、他人の視點を取り入れる餘裕もなく自分のプライドを保つために必死の思いで維持していた殻の中の自分の姿を立體的に照らし出すことによって、記憶の中に閉じ込められた中學生の私が甦ってほっと息をついたような気がしたのだった。
早々のご挨拶、ありがとうございます。
こちらこそ、本年もよろしくお願い申し上げます。
年を経るごとに過去のことが思い出され、青春時代に戻ってみたいと思ったり、いいや、やっぱり今の自分が好き、などと思ってみたり。
記憶と共に“私”という人間が形成されていくのだなあ、とつくづく感じています。
全寮製ですか。濃密な時間を過ごされたのでしょうね。寢食を共にした友というのはそれこそ得がたいものだと思います。
ちょっとうらやましい。
「記憶の像」を拝見しまして、自分の中の記憶の色々も蘇ってきました。。。しかし、私は思い出したのは大學時代でしたね。そのときになって初めて色紙ではなく、専用のノートに四年間も(全寮製だったので)同じ寮で同じ教室で同學したクラスメート全員にメッセージを書いてもらったのでした。小春日和さんのような自分に「貼り付いていた氷」こそありませんが、でも、もう一度その同級生に會って當時書いてもらったときどんな思いだったのかを確かめてみたいようなメッセージはありますね...大學を卒業してから広い中國のあっちこっちで、そして日本やアメリカなどで活躍しているクラスメードの何人かにまだ一度も再會していませんが、。。。「記憶の像」を読ませて頂いたおかげ様で、彼たちが急に懐かしくなってきました。。。