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ある時、何かの拍子に妹が私に「ありがとう」と言った。それをたまたまそばで聞いていた5歳の姪(弟の子供)が、
「XXちゃん(私の名前)とXXちゃん(妹の名前)って兄弟でしょう?どうして『ありがとう』っ て言うの?」
と不思議そうな顔をして聞いた。
この姪にはひとつ上の姉がいる。
「え~?XXちゃん(姪の名前)はお姉ちゃんに『ありがとう』って言わないの?」
「言わないよ。」
それを聞いて、私はこの小さな姉妹の関係にとてもほほえましいものを感じた。彼女たちの間には、「ありがとう」などという言葉を介在させる餘地などないのだ。子犬のようにじゃれあって、喧嘩をしても助け合っても、それはもうただ自然に二人がそこにいるからというだけの話であって、言葉で関係を繋ぐ必要などさらさらないのだ。
そういえば、中國人に「日本人って、親が子供に『ありがとう』って言うんだね。変だ。」と言われたことがある。
有一天,妹妹為了某件事對我說謝謝的時候,恰巧被在傍邊的5歲的侄女(我弟弟的孩子)聽到了,她一臉的不可思議,納悶地問:
“你 和她是姐妹吧,為什麽還要說謝謝呢?”
她有個比她大一歲的姐姐。
“咦?你不對姐姐說謝謝嗎?”
“當然不說呀。”
聽了這句話,我感到這兩個姐妹之間的關係很緊密。她們之間沒有“謝謝”這種話介入的餘地 。像小狗一樣經常玩耍, 吵架、互相幫助都是因為兩個人自然而然地總是在一起不分開,也就沒有必要用語言來努力維持關係了。
我想起了,以前有個中國人跟我說過“你們日本人,母親怎麽對孩子說謝謝呢?奇怪” 。
[此帖子已經被作者 2007-12-19 編輯過]
なるほど。“社會性”ですね。その言葉に納得です。
私が姪の姉妹に対して「子犬のようだ」と思ったのも、確かにその社會性以前ということと繋がっているようです。よく言えば、無邪気と言うことかもしれませんが。
それから、「ありがとう」と「謝謝」の対応性。これにもハッとさせられました。言う言わないだけでなく、文化全體のあり方、様相の違いを考えると麵白いものがあります。
こんなふうにコメントを頂けると、考えが更に広がってわくわくします。ありがたいです。
確かに、「ありがとう」をただ単純に「謝謝」と中國語に訳され理解されている限りでは、中國人はめったに自分の子供に言わないでしょう。。。その一言に含まれているもっと多くの文化的要素がセットされているような気はしますが...^^;。