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2011 (140)
誰かの話を一対一で聞いている時、ごく稀に、まるで相手の心が自分の中に流れ込んでくるような気持ちになる時がある。それは老若男女関係なく、相手の心の開き具合、語りたいという自然な気持ちや熱心さ、自分の聞く態勢や體調など、いろんな條件が重なった時、そういう特別な情況が生まれる。相手の心がすうっと私の體の中に流れ込んできて、まるで精神的に交わっているような陶酔感が訪れる。必ずしも相手が語る會話の內容に興味があるわけではない。むしろ具體的な興味がないほうがそういうことが起きやすいように思う。
例えば、ある時、私より十も年下の女の子がレゲエについて私に語ったことがあった。彼女はレゲエの歴史やそれがどんなに素晴らしい音楽であるか、熱心に語った。私はレゲエには全く興味がない。その時聞いた內容で覚えていることといったら、それがジャマイカの音楽である、ということくらいである。ある集まりの席でのことで、周りでは談笑する人たちの聲が賑やかに飛び交っていた。けれどそこには、私と彼女、二人だけの隔絶された空間があり、自分の愛するものについて我を忘れて語る彼女とそれを聞く私がいて、二人がぴったりと一つになったかのような陶酔感が訪れた。それ以前彼女と私は特別親しい関係ではなかったし、それ以後も特別親しみが増したわけでもない。
それから、ある親戚の老婦人が私に昔話を語ったことがあった。それは彼女がまだ10代の少女だった頃、ほんの少しの間中國へ旅した話であった。これも私は細かい內容を覚えていない。ただ、この老婦人が、船に乘って大陸に渡った遠い昔の大冒険の思い出を如何に愛していたか、如何にその思い出が彼女の人生の中できらきらと輝いた一頁となって刻み付けられているか、婦人の語り口からそれらを感じたことだけを覚えている。まるで彼女の人生の一部が、私の體の中に雪崩れ込んでくるような気がして、私はエクスタシーを感じた。
しかし、このようなことは滅多に起きることではない。以前、同僚に「XXさん(私のこと)って、人の話を聞いてるんだか聞いていないんだか、わからないところがあるよね。」と非難めいた口調で言われたことがある。