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親の務め

(2007-10-26 22:30:15) 下一個

 10月26日付けの朝日新聞天聲人語で次のような文章を読んだ。數日前に偶々私が考えていたことと一致していて、興味深く思った。

― 以下、天聲人語より一部を引用 ―
 個性派の俳優で昨年亡くなった岸田今日子さんは、風変わりな子どもが好きだった。ほかの子とテンポが合わないような子がいるとうれしくなってしまう。隨筆にそうつづっている。 
    ところが自分の子が生まれると、勝手が違った。「早くご飯を食べなさい」「宿題はしたの?」。わが子が仲間はずれになりはしないかと気にかかる。今や、ただの大人になってしまったのだろうか――筆づかいからは深い溜め息が聞こえてくる。……
――

  この10日あまり、二人の姪の世話をしていた。
    夜は9時半には子どもたちが眠りに著くようにしなければならない。9時にベッドに入って本を読む。8時にはお風呂に入れなければ。宿題は夕飯前に済ませるように。けれど時々夕飯後になって、「あ、日記がまだだった」などど言い出す。朝は7時半に家を出るから、ぎりぎり7時には起きないと朝ごはんが食べられない。上の子はなかなか起きない。6時半から朝食の支度の合間を縫って、「起きなさい」と何度も聲を掛ける。
  常に時間に追われ、命令している。「何やってるの?」「漫畫は置いて」「宿題は?」「早く早く」。ぐずぐずしていたら何もかも間に合わない。
  ようやく、二人の世話から解放されるというその日の夜、下の子が「ねえ、くすぐって」と言うので、くすぐり合いっこをして遊んだ。身をよじってけらけらと笑う子と一緒になって寢転がって対等に遊んでいる自分にふと気付く。世話をする立場じゃなければ、こんなにも楽しく子どもたちと遊べるのに。その時、お風呂に入れる時間も寢る時間も私の念頭にはなかった。
  食べさせて、寢させて、勉強させて、親は子どもを世話しなければならない。立派な大人に育て上げなければいけない。親が子どもの目線で物事を眺めるというのはなかなか容易なことではない。


        我看了10 月26號的朝日報紙的天聲人語感到很有意思,因為幾天前我剛剛有過同樣的想法。

下麵是其天聲人語的一部分;
        去年去世的個性派演員岸田今日子曾經很喜愛那些與眾不同的孩子。她在自己的隨筆裏寫道,一遇到那 種 和其他孩子步調不一致的孩子就感到高興 。
        然而,一旦有了自己的孩子,情形就不同了。 “ 快點兒吃 飯 呀!”“ 寫作業了嗎?” 還擔心自己的孩子會不會被小朋友欺負受到排擠 。如今,怕是自己也不過一個普普通通的成年人 罷 了。 —— 從岸田的文字裏,似可耳聞她那深深的歎息聲 。                  
                                                                        (以上 引用了“ 貫通日本語論壇”上的譯文)

   這10天左右,由我來照看兩個侄女。
   我的目標是晚上9點半讓孩子睡覺。9點上床給她們讀書。8點多應該洗澡。作業應該在吃晚飯之前做完。有時她晚飯後突然想起來“哦!還有日記沒有寫完”。早上7點半出門,所以至少7點讓她們起床,要不就沒有時間吃早飯了。老大怎麽都起不來。我從6點半開始一邊做飯一邊叫她幾次“起床吧!”。
        我總是在趕時間,發號施令。“在做什麽呢?”“別看漫畫了!”“作業做完了嗎?”“快點!”。如果磨磨蹭蹭的話什麽都趕不上。
        終於在我卸下保姆的重任的那晚,因為老二跟我說了“你撓我癢癢吧 ” ,我胳肢她和她玩鬧起來,她笑得前仰後合。我忽然發現隻要我一旦卸下了保姆的擔子就能和她們玩得非常開心。那時我腦子裏一點沒有洗澡的時間、上床的時間什麽的。
        讓孩子吃飯、睡覺、學習等,母親總得照顧她們,有義務好好培養孩子,希望她們成長為優秀的青年。與此同時,還要顧全孩子們的意願和感情就不太容易了。

[此帖子已經被作者 2007-11-07 編輯過]

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