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家族

(2007-10-03 04:53:03) 下一個

  家族と言うのは近くて遠い存在なのかもしれないと、ふと、思った。
    物理的には一番近くにいるのだけれども、私は本當に彼らの何を知っているのだろうと思う。
    例えば、戀をしたとき、人は相手のことをより多く知りたいという欲求に駆られる。彼が何を考え、何を好きで、何に関心を持っているか、なるべく多くのことを知りたいと思う。それは相手に近づきたい、ひとつになりたい、という欲求なのだと思う。
    ところが、家族にはこれと逆の作用が働く。家族は運命共同體であって物理的な拘束力が働くから、精神的には獨立していたいという欲求が生じる。私が私であることを守りたくなる。同時に相手の自立性も尊重するから、相手の領域を侵犯しないことが、一つ屋根の下で暮らす家族の平和や均衡を保つ秘訣になる。
    戀する相手にはなるべく壁を取り払おうと努力するのに、家族となると、壁を作って 一定の距離と固定された関係性を保つことが必要となる。戀する相手には人間として相手のすべてを受け入れ受け入れられたいと思うのに、家族に対しては、親子なら親子としての態度、夫婦なら夫婦としての態度、というある固定された関係性に限定されて接する。
    こういう感情は中國人には理解し難いかもしれない。彼らにとって、家族とは疑いなく最も近い存在であろうから。   
    中國人の家族のあり方や、家族への愛情、また家族製度に対する考え方を見たり聞いたりすると、その思想に確固たるものを感じる。全く揺るぎがない。家族という単位が社會を構成する基礎的かつ絶対的な単位であるという認識を、社會全體が広く根強く共有している。中國人の家族製度や家族のあり方に対する懐疑は、今のところ、日本人のそれとは比べ物にならないくらい少ないと思う。
 
    我忽然間想到:家人大概是最近而又最遠的存在了。
   
雖然和他們距離最近,但有時我懷疑自己並沒有真正理解他們。
   
比如我們在戀愛時,會產生要更深入了解對方的願望。他在想什麽、喜歡什麽、關心什麽,樣樣都想知道。那是一種想接近對方,甚至與其融為一體的強烈願望。
   
然而,對於家人的感情卻與之相反。因為與家人是命運共同體的關係,行為舉止就會收到束縛,於是希望得到精神上的自由。我覺得,在維護自己獨立性的同時,尊重別人的獨立性、不侵犯別人的領域,是生活在一屋簷下的家人之間能夠和平相處、保持平衡關係的秘訣。
   
雖然對於戀人要努力消除隔閡,而麵對家人則需要築起防線,保持一定的距離和固定的關係。對於戀愛對象希望能夠接受對方的全部,同時也希望自己的全部能被對方接受;而對於家人,父母和孩子之間要保持父母和孩子之間應有的態度,夫妻之間要保持夫妻之間應有的態度,限定於一種固定的相處模式。
   
這種感情對於中國人來說也許是難以理解的吧。對於他們來說,家人無疑是最近的存在。
   
我每次看到或是聽到中國人對於家庭模式、家人間的愛以及家庭製度的想法,總會覺得這種思想根深蒂固,絲毫無法搖動。全社會都普遍認為而且堅信:家庭作為一個絕對的單位是構造社會的基礎。至今,中國人對於家庭模式、家庭製度懷疑的單一,是日本人不能與之相比的。 

[此帖子已經被作者 2007-10-7 編輯過]
※感謝朋友幫我修改了此中文文章。
 

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