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理解への懐疑

(2007-08-31 19:39:41) 下一個

  誰かに理解されたいと強く欲しても、理解されるための努力をする気力が年毎に失われていく。結局のところ本當の理解など不可能なのだという思いが年々強くなる。欲しても得られないものならば、イソップの「きつねとぶどう」のように、そんなものに価値はないのだと無関心を裝う。人との距離はますます広がり、ますます孤獨になる。 

    
我強烈希望別人理解我,反而為讓別人理解我去努力的氣力年年衰弱起來。我想人和人之間的真正的理解歸根結底是不可能的,逐年加強這種感覺。我對很需求但得不到的東西,像伊索寓言的狐狸和葡萄的故事所講的,得假裝無關心,是本來沒什麽價值的。結果我跟人之間的距離越來越遠,越來越孤獨。

 

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