20090909

上善若水 厚德載物
個人資料
正文

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(2013-04-17 13:34:57) 下一個
  上善若水。水善利萬物而不爭,處眾人之所惡,故幾於道。居善地,心善淵,與善仁,言善信,政善治,事善能,動善時。夫唯不爭,故無尤。-老子
 宋王安石《老子注》說:“水之性善利萬物,萬物因水而生。然水之性至柔至弱,故曰不爭。眾人好高而惡卑,而水處眾人之所惡也。”《活學活用道德經》:上善若水, 胡衛紅)

The highest good is like water.

As heaven maintains vigor through movements, 
a gentle man should constantly strive for self-perfection. 
As earth's condition is receptive devotion, 
a gentle man should hold the outer world with broad mind.
(Translated by Prof. Changquan Li, 
Beijing Foreign Studies University)

上善若水-じょうぜんはみずのごとし)。
 岩もあり 木の根もあれど さらさらと  
たださらさらと 水の流るる(甲斐和裏子)
 枯木再び花を生ず -禪語に學ぶ生き方-』(細川景一著・2000.11.禪文化研究所刊)より
水は高きから低きに無心にさらさらと流れて行きます。前途に
如何いかなる障害物があろうとも、自在に流れを変え、信じられないような大きな力を発揮して、岩をも削り取って流れて行きます。毎日毎日その流れを見る事によって、普通なら二、三ヶ月で死んでしまう所を一年間も生き抜き、豊臣秀吉に救われます。これより、水の如く生きるべく、「如水じょすい」と號し、「水五則」を掲げて、自分の座右の銘とし、ついに黑石五十萬の大名になります。その「 水五則」です。
一、自ら活動して他を動かしむるは水なり――他を指導する為には、自ら実踐すべきである。
二、つねに己れの進路を求めてやまざるは水なり――自らの進路をいつも求め続ける積極性を持つべきである。
三、障害にあって激しくその勢力を百倍し得るは水なり――少々障害に當たろうとも力を落としたり、落膽すべきではない。
四、自ら潔うして、他の汚濁あわせ容るる量あるは水なり――どんなものでも受け入れる大きな度量を持つべきである。
五、洋々として大海をみたし、発しては雲となり、雨雪に変じ、霧と化し、凝っては
玲瓏れいろうたる鏡となり、しかもその性を失わざるは水なり――何時でも、何処でも自分の信念だけは変えるべきでない。
 水の如くに生きれば、まさに禪の悟りに通じます。 
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