上善若水。水善利萬物而不爭,處眾人之所惡,故幾於道。居善地,心善淵,與善仁,言善信,政善治,事善能,動善時。夫唯不爭,故無尤。-老子 宋王安石《老子注》說:“水之性善利萬物,萬物因水而生。然水之性至柔至弱,故曰不爭。眾人好高而惡卑,而水處眾人之所惡也。”(《活學活用道德經》:上善若水, 胡衛紅) The highest good is like water.
As heaven maintains vigor through movements, a gentle man should constantly strive for self-perfection. As earth's condition is receptive devotion, a gentle man should hold the outer world with broad mind. (Translated by Prof. Changquan Li, Beijing Foreign Studies University) 上善若水-(じょうぜんはみずのごとし)。 岩もあり 木の根もあれど さらさらと たださらさらと 水の流るる(甲斐和裏子) 『枯木再び花を生ず -禪語に學ぶ生き方-』(細川景一著・2000.11.禪文化研究所刊)より 水は高きから低きに無心にさらさらと流れて行きます。前途に如何なる障害物があろうとも、自在に流れを変え、信じられないような大きな力を発揮して、岩をも削り取って流れて行きます。毎日毎日その流れを見る事によって、普通なら二、三ヶ月で死んでしまう所を一年間も生き抜き、豊臣秀吉に救われます。これより、水の如く生きるべく、「如水」と號し、「水五則」を掲げて、自分の座右の銘とし、ついに黑石五十萬の大名になります。その「 水五則」です。 一、自ら活動して他を動かしむるは水なり――他を指導する為には、自ら実踐すべきである。 二、つねに己れの進路を求めてやまざるは水なり――自らの進路をいつも求め続ける積極性を持つべきである。 三、障害にあって激しくその勢力を百倍し得るは水なり――少々障害に當たろうとも力を落としたり、落膽すべきではない。 四、自ら潔うして、他の汚濁あわせ容るる量あるは水なり――どんなものでも受け入れる大きな度量を持つべきである。 五、洋々として大海をみたし、発しては雲となり、雨雪に変じ、霧と化し、凝っては玲瓏たる鏡となり、しかもその性を失わざるは水なり――何時でも、何処でも自分の信念だけは変えるべきでない。 水の如くに生きれば、まさに禪の悟りに通じます。