http://www.hankaku-j.org/data/07/200325.html
>>朝鮮戦爭での原爆使用の危機
米國の軍人マッカーサーは、朝鮮戦爭(1950年から1953年。ただし、現在も休戦狀態)での核兵器使用を考えていた。「30発から50発の原爆(※1)を満州の頚狀部に投下すれば、10日以內に勝利できる」、そうすれば「少なくとも60年間は北から朝鮮を侵攻する餘地がなくなる」という発想である(※2)。広島と長崎への原爆投下の最終決定者であった當時の米國大統領トルーマンは、「アメリカの所有するいかなる兵器も使われうる」と核兵器使用をほのめかしていた(1950年11月30日)。トルーマンとマッカーサーの思惑は重なっていたのである。けれども、翌年4月、トルーマンはマッカーサーを解任している。米國の核廃絶運動指導者ジョセフ?ガーソンは、その解任理由について「マッカーサーが無鉄砲に核兵器の使用を望んだからではなく、それが確実に使われるとの確信をトルーマンにもたせたからだ」としている(※3)。沖縄?嘉手納に核兵器を集結させていたトルーマンが、その使用をためらったのは、當時の英仏首脳が、もし朝鮮半島で原爆が使用されれば、ソ連が西側に原爆を使用する可能性があるとの危懼を表明したからだといわれている(※4)。結局、マッカーサーは解任され、核兵器の応酬はなかつた。<<