夏目漱石:
1、漱石の文學 漱石の文學的出発は自然主義文學の成立期に重なる。しかし、彼はその動きに同調せず、超俗的姿勢で作品を創作し、低徊趣味・餘裕派・高踏派を稱された。やがて人間心理・自我を深く追求するようになり、晩年は東洋的な調和の境地「則天去私」を誌向した。漢學と英文學の深い教養、東洋的倫理観と近代的知性、そして鋭い文明批評に裏付けられて、自身の切実な問題として人間存在の真実、近代的知識人の自我と孤獨を仮借(かしゃく)なく追求した彼は、日本近代文學史上、鴎外と並びもっとも高く評価されている。また多くの門人を指導し、次代の大正で活躍する學者、作家を育成した。
2、主な作品 自分の苦悩と社會への不満を苦しんでいる中で、高浜虛子の勧めで雑誌「ホトトギス」に『吾輩は貓である』を発表し、鋭い風刺とユーモアで人間を批判した。庶民的な笑い、風刺、反俗精神は『坊つちゃん』に引き継がれるが、同時に『草枕』によって「非人情」の境地を描き、作家としての地位を築いた。朝日新聞社の専屬作家となり、『虞美人草』(ぐびじんそう)を発表、その後『三四郎』、『それから』、『門』の三部作の於いて青春の迷い、生の不安、自我の問題、人間の愛、明治文明への批判などを描いた。修善寺大患後の後期三部作『彼岸過迄』(ひがんすぎまで)、『行人』(こうじん)、『こころ』においてエゴイズムや生の孤獨を鋭く追求し、人間存在の闇を描き出した。『道草』で自らの過去を振り返り、『明暗』では夫婦をはじめとする人間関係の中に、醜いまでの我執を追求し、新たな漱石文學の展開を思わせたが、未完のまま漱石は歿(ぼっ)した。小説のほかに文學論『現代日本の開化』『私の個人主義』などの論文・エッセイは、明治の知的高峰を示し、晩年の「則天去私」は漱石文學の行方を暗示している。