李慶保譯霧の月夜
一夜ねむられぬ
霧の月夜の窓が眩しい
疲れきってるのに
何も考えないのに
何となくさみしいのに
のに、のに
心がのたくってるような
あわれ、この男ベッドの上で
大きなみみず
小さな尺取蟲
大きな眼をあけて
小さくよじれてる
きりの月夜は明けやすい
七十七才のおじいさんよ
あすの朝は霧がもっと、もっと
もっと深くていよいよ濃い
その中を“先生”は首だけのばして教室へ急ぐ
「センセイ、オハヨウ」
『オハヨウゴザイマス、コウセンセイ!』
誰か、どなたかわからない
みいんなかくれ蓑をきてるんだから……
こっちはパイプをくわえてるのですぐ見付かってしまう
あわれなこっちゃ
ねぼけ麵、さむそうに
今たしかに、ダブル·ベッド、枠の中にさむざむと
霧の月夜はまっ白い!
有霧的月夜
一夜未眠
起霧的夜晚,窗邊月光耀眼
明明極度疲乏
明明什麽也沒想
明明有種說不出的淒涼
可是,可是
心中卻像有隻小蟲在蠕動一樣
啊,這個男人在床上
就如一條大蚯蚓
又如一隻小尺蠖
睜著大大的眼睛
扭動著小小的身軀
有霧的月夜亮得早
七十七歲的老翁啊
明早的霧肯定會
肯定會更深更濃
濃霧中“先生”挺直脖子朝教室趕去
“老師,早上好”
“早上好,黃老師”
分辨不出是誰的聲音
因為大家都披著“隱身蓑衣”……
老師嘴裏叼著煙嘴兒,所以立刻被認出
哀哉
臉上睡意朦朧,空氣散發著寒意
此刻大大的雙人床冷冷清清
有霧的月夜一片雪白!
生きてる
生きのいい時はピチピチしてる
時にはおいぼれたふりして
しょぼしょぼしよう
むかしはいい男でした
今だって捨てたもんぢゃない
ウヌボレ
いや、ウヌボレなくちゃ……
大きな鏡をふと眼にした
鏡が詩のノートを取ってるわたしを見てる
わたしはまだ老荘の道を辿らない
わたしは足のわるい徐霞客だ
出不精なくせ、外出すれば方方へ寄る
風來坊、夜遊星Gamin、雑學者、顔役
何だっていい
とにかく生きてる
時にピチピチ、時にしょんぼりと……
(於重慶·四川外語學院)
活著
身體好時生機勃勃,活蹦亂跳
偶爾也裝聾賣傻
故作老態
過去是個好男人
現在也並非一無是處
高傲自大?
不,須得有股傲氣……
眼前忽現一麵大鏡子
照見手拿詩稿的我自己
我還不走老莊之路
我是腿腳不便的“徐霞客”
明明不愛出門
一出門偏要走遍各處
說我是流浪漢也好,夜遊星也好
雜學家也好,有頭臉的人物也好
全都無所謂
總之,我活著
時而生機勃勃
時而無精打采……
(於重慶·四川外語學院)
夾竹桃の花
——為祝〈歴程〉三〇〇號而作夾竹桃の花は、官能の花
白い花、赤い花
官能の花の香、大地にはびこり、大空に立ち昇る
生命の象徴彌映えて
人口一千三百萬
急に世界第三大都市となった重慶市の
どこも、かしこも花ざかり、花正盛開ホワア·ゼンセンカイ
朝は早ようから後朝きぬぎぬの風さわやかに
宵は待ちかねて、けたたましく、たまらなく
終日終夜ひねもすよもすがら、この初夏の雰囲気ったら
ここに聖たる白い花の回想
ふっと思い出す赤い花に惹かれて、引っかかる!
一刹那、さっと変るきいろいカンナの花の
不思議な、ふしぎな幻想イリュージョンよ
まだ、どこかにこびりついてる怪しい幻想よ
ああ、詩に生きてきたこの人世間レンスヂエンは長かったか、短かいか
時間、空間、その中でもまれ、もまれて
いつ、いかなる場合にも詩はわたしの道連れ
詩
コレは確かにわたしのFavorite
今わたしは詩の樹下石上、裸まんだら、かくれ蓑姿
いつの頃か?多分カンゴクから出てきた直後
〈歴程〉は毎月一回、as a punctureに訪れてくれた
そして今にして思えば四、五年になるかな
ソレが三〇〇號にもなれば感無量!
その感無量の心の中
季節の風が吹く
夾竹桃の官能の匂い、鼻にぷんと來る押し寄せる風
わたしは生きている
少なくても今は元気だ!
わたしは誇りやかに〈歴程〉をよんでいる
天路歴程、人生歴程
かなしい笛の音、サーカスのチャリネ
メーリー·ゴオランド
今は詩の上手、下手なんか問題にしない
下手の橫好き
ひとりぼっちだってさびしくない
一皮むいても二皮むいてもわたしは詩人
わたしは霧ようやく晴れた六月の太陽の下でつぶやく
「〈歴程〉もずい分長いことつづいたなあ
おめでとう!みなさん、おめでとう!」
この官能の元気は詩の香りかも知れない
茫々半世紀のわが友よ
まだお目にかかってないわたしの同行者よ
人生かくして瑞みづしく、更に瑞みづしく
年とれば年取るほどに詩人の円光自づと光り輝やくよ
ああかえり見れば
おお、見遙かす希望の彼方!
夾竹桃花
——為祝賀《曆程》三〇〇號而作夾竹桃的花是官能之花
白花,紅花
官能的花香彌漫大地,升入天際
映現出生命的象征
一千三百萬人口的重慶
一下子成為世界第三大都市
這兒,那兒,花正盛開
晨風清爽
宵夜難待
日夜沉浸於這初夏的氛圍
回想著那純潔的白花
又被突然憶起的紅花所吸引!
忽又想起黃色的美人蕉
那不可思議的,不可思議的幻想啊
仍牢牢纏繞於某處的奇怪幻想啊
啊,為詩而生的人世是長還是短?
在時間與空間中曆盡磨難
無論何時何地,詩一直是我的旅伴
詩
它確是我的Favorite
我正在詩的樹下石上歸隱修煉
不知何時,大概是在剛出獄之後吧
《曆程》as a puncture注每月如期而至
想來已有四、五年了吧
現今它已迎來三〇〇期,實在感慨萬千!
在無限感慨的心頭
季節風輕輕拂過
夾竹桃那官能之香,隨風撲鼻而來
我活著
至少此刻仍舊身板硬朗!
我自豪地讀著《曆程》
啊,天路曆程,人生曆程
有悲傷的笛音
也有雜技團的獨輪車與旋轉木馬
詩作的好壞不是問題
就算蹩腳也偏要愛好
即便隻身一人也不覺孤寂
剝完我的皮,骨子裏也是個詩人
霧漸散去,我在六月的驕陽下自語
“《曆程》也走過了不短的路程啊,
祝賀大家!恭喜恭喜!”
這官能的精氣也許是詩的芬芳
茫茫半世紀的摯友啊
我未曾謀麵的同行者們啊
人生如此鮮活,還將更有生機
詩人的光環會越老越自然閃耀
啊,回顧過往
噢,遙看希望的彼方!
’86元旦·おしゃべりの詩
ひともわれも’86年の人
オメデトウゴザイマス!
新年快楽シンネエンクワイロー!
何とか、なんとか
外人教師、留學生に出會うと、悉く「您好ニンハオ、新年好シンネエンハオ!」だ
四川外語學院の元旦
重慶の朝は相変らず霧立ちこめて
霧もうもうの上にはバレー·ボールのような紅太陽ホンタイヤンが
不錯ブツオ、今天也是好天キンテエンエエスハオテエン
(今日も晴れ、まちがいなし)
紅彤彤地ホントントンデエ紅太陽は人民中國のシンボル
一夜明ければ、確かに明けまして
一夜明けると正しく數え年80才
「お待ちどおさま!」冥土の旅の一裏塚
「きみ、もう一年がんばるのか?」
あの世からの友人らの聲?
『ずい分年とっちゃったね』
『長生きした米食い蟲め』
『もう少しもうろくしてもいいのに……』
自分で自分をひやかす
しかし、まだメも見える、足だって達者
ミミと來たら二メートル先きの愛のささやきさえキャッチ出來るん
だから
それに口はね、口八丁ではないけど、吃吃、み力たっぷり人を惹く
アタマは?『老當益壯ラオダンイツアン』、Qをどんどん片づけ、Aはわかり易く、
われこそ自他相許す『何でも屋先生』
ソレが馬齢一つプラスされれば
いいか、わるいか
いやはや、いやはや、彌栄いやさか、彌栄いやさか
オレは梅幹しだよ、
『年は取っても若い気で
運動會のお供する。』
たのまれれば、マラソン、ラヂオ體操、太極拳なぞ集體表演の一役
を立派にやりとげる
地球は廻わる、くるくると
今年は去年のつづき——當り前だっ!
死んだと思ったお富さんも生きていた
いく度死にはぐれた、詩をかきつづけてる詩バカは
なくなった友人らにはすまないが
「生命寶貴センミンバオクイ、生存幸いなる哉」を心に抱いて
86年元旦·饒舌詩
人們和我都迎來了一九八六年
恭喜!恭喜!
新年快樂!
遇到外教和留學生
個個都不忘道一聲“您好,新年好!”
四川外語學院的元旦
重慶的早晨依舊是迷霧籠罩
霧蒙蒙的天空露出排球般大的紅太陽
不錯,今天也是好天
紅彤彤的太陽是人民中國的象征
一夜天明,沒錯,天明了
一夜過去已是虛歲八十
“讓您久等了!”離黃泉路又近了一程
“你準備再堅持一年?”
這是來自那個世界的友人的聲音嗎?
“活得實在是不短了啊”
“你這個老不死的廢物”
“本可以再老糊塗一些……”
我如此自嘲道
但是,眼睛還看得見,腿腳也還靈便
耳朵嘛,仍能聽見兩米以外戀人間的低聲細語
嘴巴呢,雖說不上靈巧,還時而口吃,卻還有足夠吸引人的魅力
腦袋瓜子呢?所謂“老當益壯”
沒有難倒我的問題,回答還讓你好懂
我是人所公認的“萬金油先生”
如今馬齒徒增
是好還是壞?
老叟就是一粒鹹梅子,愈老彌香
“雖說上了年紀,我準備以年輕的心態
陪你們參加運動會。”
如果受邀,我定能出色地完成
馬拉鬆、廣播體操、太極拳等集體項目的一個角色
地球咕嚕嚕旋轉
今年繼續著去年——那是當然!
本以為死了的阿富卻還活著
我這個數次與死亡擦肩而過的筆耕不輟的詩癡
雖然對不住故去的友人
卻還是堅信“生命寶貴,活著是件幸福的事”
臨終
——死にはぐれしもの、いつかは消ゆるべき。もしもこれがこの世のお別れならば
『さよなら』って雲おう
息つまり、悶え苦しく追りきて
鼻の先だけしかほんのぬくみがあるから
せめて『さ』を雲おう
『さよ』と雲おう
つづけて『なら』が雲えなけりゃ
顔をゆがめ、口を動かそう
いっそのこと祖國の言葉で
『再見ザイヂエン』と叫ぼう
これが最後と眼だけ光らしても力がもうない
力がなくなればどんなご麵相か
あ、だんだん暗くなる、くらくなる
誰かが唇に水をぬってくれる
すすり泣きの震音トレモロ
われは行く
臨終
——死裏逃生者,遲早將逝去。如果這就是與這個世界的別離
就說一聲“沙揚娜拉”吧
喘息困難,痛苦掙紮
隻有鼻孔前尚存一絲溫暖
至少先說出“沙”
然後再說“沙揚”
接著,還必須得說出“娜拉”
扭曲著臉,努力張開嘴
幹脆用祖國的語言
大聲說一句“再見”
這臨終之際,已衰弱無力,唯有眼睛還光芒熠熠
氣力盡失後,將是怎樣的麵容
啊,漸漸暗淡,漸漸暗淡
是誰用水為我濕潤嘴唇
在抽泣的顫音中
我去了
言葉の遊び
——或は、心の奧のわびしさ
1.
ありとあらゆる
いろっぽいことも
ういもすいも
えへん
おれは忘れたか、思い出したか
2.
人間がひし曲げられた十一年半の
アブノオマル·ライフは仲なか消えない
今でもま夜中ふとカンゴクにいる思いに襲われる
この後遺症はさびしかないか
オレの犯號は一三四ヤオサンスだったね
オレはアレから生きのびたかも知れない
卓上燈スタンドをつけると
やはり鐡格子のない窓だった
月が出てる、ねぼけ麵して
何処かから流れ來る夏の白い花の匂い。
3.
秋はすぐ來る、やって來る
今は夏だ、毎日Cの39°つづき
雨よ、くすりにしたくもない雨よ
そのくせ成都は三天サンテン、両天リヤンテンざあざあ降り
重慶はどうだい?
一日中パンツ一つでいても雷さまは臍を取りに來ない
4.
雲いわけ、小わけ
〈歴程〉ばっかりに詩を書いて
いや、〈歴程〉しかのせるところがなくて
いつも、いつも
またこいつめ書いてるなあと雲われるのは
百も承知、二百も合點
そして拙作のある〈歴程〉がはるばるやって來れば
小生莞爾として他人さまの詩のように拙作をたのしく、
うれしく読むとは……
5.
’88·8·8午前3時
汽笛とガァフンガァフン
山ふもとを這う貨物列車
となりの部屋のアイス·ボックスも一寸さわいでる
水道のちょろちょろ水は渓穀の流れか
三度咲ざきのジャスミンの香り鼻を衝く
身にかそかな涼しさは
はだかまんだらの80男の
80男が等々力渓穀のレストランの夢の醒め
ああ、東京は近かった、遠くなった——
語言遊戲
——或曰,心底的孤寂1
一切
情色的
純潔的和風流的
嗯哼
我都忘了嗎?還是憶起了?
2
十一年半被扭曲的人生
那些非常的日子怎麽也無法抹去
至今仍會深夜驚醒,疑似還身在獄裏
這後遺症讓人倍覺淒寂
記得囚號是一三四
咱也算是死裏逃生
打開台燈,朝上張望
果然不是那鐵格子窗
啊,月出雲霄,朦朧中
何處飄來夏日白花的芳香
3
秋天就快到來,就快到來
現在是盛夏,連日高溫三十九度
雨啊,那絲毫不見影兒的雨啊
你在成都嘩啦啦下了兩三天
為何就是不來重慶?
成天光著膀子隻穿短褲
也招不來雷公公抓肚臍兒!
4
說來像是在為自己辯解
老是隻給《曆程》寫詩
不,那是因為隻有《曆程》可以刊登
我很清楚
每次都肯定有人說
怎麽又是這家夥在寫
可是,當刊有自己詩作的《曆程》遠渡重洋抵達我手上時
小生我總會微笑著,如拜讀他人的作品一樣
興奮地閱讀拙作……
5
八八年八月八日淩晨三時
一列貨車打著鳴笛
哐當哐當從山腳邊駛過
隔壁的冰箱被震得輕輕作響
自來水管的涓涓水聲疑是溪穀的細流
花開三度的茉莉芳香撲鼻
赤裸曼荼羅的八旬老翁
身上有微微涼意
從等等力溪穀餐館的夢中驚醒
啊,東京是那麽近,又一下子離我遠去
巴山夜雨
ざっと音立てて過ぎ行く雨
(餘命いくばくもないかしら?)
そのくせ仲なかくたばらない人間がそれを聞いている
(よくもここまでやって來たな)
自問しても自答したがらないこの男
一雨ひとあめがまた戻って來た
開あけっ放しの窓からひんやりした大気
夜は靜かで
月があたらしい
戸外のうす明かり
どこからか、これも靜かにやって來た木犀の香り
(わたしはしばらく放心狀態かも知れない)
秋雨はひとりにしきくべきか
巴山夜雨は
部屋の中の燈は人影をうつし
その影は頬杖をしながら
タバコをのんだり、お茶をのんだり……
雨がまたやって來た
巴山夜雨、狐の嫁入り、月夜の銀の雨
わたしは見てる、きいてる、考えてる
わたしは夢うつつ
十月五日から八十八才を迎えた
(九十三年十月六日)
巴山夜雨
嘩啦啦一陣驟雨掃過
(餘日不多了嗎?)
總也不死的人,側耳將夜雨傾聽
(竟然活到了今天啊!)
這男人如此問自己,卻不願回應
又是一陣驟雨
從敞開的窗戶吹來一股涼風
夜很靜
月明如洗
室外微明
不知從哪裏靜靜飄來桂香一陣
(也許是我一時神思恍惚)
秋雨是否該獨自聆聽
巴山夜雨啊
屋中燈光照出人影
那人手托腮幫
時而抽煙,時而呷茶……
雨再次襲來
巴山夜雨、太陽雨、月夜銀雨
看著,聽著,想著
我已分不清,這是夢境還是現實
從十月五日起我迎來了八十八歲
(九十三年十月六日)
黃瀛隨筆選