試譯西條八十 《我的帽子》
媽媽,我的那頂帽子,怎麽了?
唉,那個夏天,從舞思伊到克麗茲米的路上,
掉進了穀底的那頂草帽呦。
媽媽,那個草帽我好喜歡啊。
我在那個時候,十分的懊悔。
就因為突然一陣風將它吹跑了。
媽媽,那個時候從對麵一個年青的采藥人走過來了呢。
深藍色的綁腿,戴著手套。
為了幫著撿回帽子費盡了力氣呢。
可是,最終還是沒辦法。
那個深深的穀底,那雜草
大概有人那麽高。
媽媽,到底那頂帽子怎麽樣了?
那時路邊開的百合花,
也許已經枯死了吧。還有,
秋天裏,灰蒙蒙的霧氣籠罩著山崗,
那個帽子下麵,也許每天晚上都有蟋蟀在哭泣。
媽媽,或許,就是現在,就在今晚,
那個穀底,靜靜地白雪正在飄落。
從前,閃閃發光的,那個意大利草帽,
和草帽裏麵我寫的
Y.S.兩個名字的大寫字母
可能被埋沒了,靜靜的,孤獨的
【注:西條八十(さいじょうやそ) 羅馬注音Saijou Yaso,Y.S是西條八十的英文縮寫】
秦照於2020/5/10. 母親節。
「ぼくの帽子」
西條八十
母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谿底へ落としたあの麥稈帽子ですよ。
母さん、あれは好きな帽子でしたよ。
僕はあのとき、ずいぶんくやしかった。
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
母さん、あのとき向こうから若い薬売が來ましたっけね。
紺の腳絆に手甲をした。
そして拾はうとしてずいぶん骨折ってくれましたっけね。
だけどとうとう駄目だった。
なにしろ深い谿で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの。
母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき傍に咲いていた車百合の花は、
もうとうに枯れちゃったでせうね。そして、
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知しれませんよ。
母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの谿間に、靜かに雪が降りつもっているでせう。
昔、つやつや光った、あの伊太利麥の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y.S.という頭文字を
埋めるように、靜かに、寂しく
【注:西條八十(さいじょうやそ) 羅馬注音Saijou Yaso,Y.S是西條八十的英文縮寫】