探朦朧 索朦朧

秦照的朦朧詩,探索詩。始建於2008。11。26。
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試譯西條八十 《我的帽子》

(2020-05-10 20:39:07) 下一個

 

試譯西條八十  《我的帽子》

 

媽媽,我的那頂帽子,怎麽了?

唉,那個夏天,從舞思伊到克麗茲米的路上,

掉進了穀底的那頂草帽呦。

 

媽媽,那個草帽我好喜歡啊。

我在那個時候,十分的懊悔。

就因為突然一陣風將它吹跑了。

 

媽媽,那個時候從對麵一個年青的采藥人走過來了呢。

深藍色的綁腿,戴著手套。

為了幫著撿回帽子費盡了力氣呢。

可是,最終還是沒辦法。

那個深深的穀底,那雜草

大概有人那麽高。

 

媽媽,到底那頂帽子怎麽樣了?

那時路邊開的百合花,

也許已經枯死了吧。還有,

秋天裏,灰蒙蒙的霧氣籠罩著山崗,

那個帽子下麵,也許每天晚上都有蟋蟀在哭泣。

 

媽媽,或許,就是現在,就在今晚,

那個穀底,靜靜地白雪正在飄落。

從前,閃閃發光的,那個意大利草帽,

和草帽裏麵我寫的

Y.S.兩個名字的大寫字母

可能被埋沒了,靜靜的,孤獨的

 

【注:西條八十(さいじょうやそ) 羅馬注音Saijou Yaso,Y.S是西條八十的英文縮寫】

秦照於2020/5/10. 母親節。

 

「ぼくの帽子」

西條八十

 

母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?

ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、

谿底へ落としたあの麥稈帽子ですよ。

 

母さん、あれは好きな帽子でしたよ。

僕はあのとき、ずいぶんくやしかった。

だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

 

母さん、あのとき向こうから若い薬売が來ましたっけね。

紺の腳絆に手甲をした。

そして拾はうとしてずいぶん骨折ってくれましたっけね。

だけどとうとう駄目だった。

なにしろ深い谿で、それに草が

背たけぐらい伸びていたんですもの。

 

母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?

そのとき傍に咲いていた車百合の花は、

もうとうに枯れちゃったでせうね。そして、

秋には、灰色の霧があの丘をこめ、

あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知しれませんよ。

 

母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、

あの谿間に、靜かに雪が降りつもっているでせう。

昔、つやつや光った、あの伊太利麥の帽子と、

その裏に僕が書いた  

Y.S.という頭文字を   

埋めるように、靜かに、寂しく

 

【注:西條八十(さいじょうやそ) 羅馬注音Saijou Yaso,Y.S是西條八十的英文縮寫】

 

 

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