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愛媛県一人旅編 第一回(日文)

(2007-08-19 11:26:33) 下一個

8月11日(土)








元のスケジュールでは今日の晝過ぎに電車に仱輟?換えに亾Qえで京都に晩禦飯前に到著し、久々に先鬥町の知っている小さな居酒屋で一杯を飲んで、鴨川の風に吹かれて、千鳥足で高鬆に向かう夜行列車「ムーンライト鬆山」に仱輟ⅳ挨盲工瓿?俗扭?繕餞蓼喬蓼胗瓚à扡筏俊?/span>

しかし、木曜日の晩から興奮していて、その夜は一睡もできず、翌日の金曜日に仕事から帰って來て、荷物を作ったりして、橫になったのは既に夜中の3時ごろでした。

重度の睡眠不足で寢たらきっと一気に熟睡に沈むだろうと予想し、寢る前にテレビのON TIME設定、目覚まし時計、攜帯電話の目覚まし設定を全部一通りやりました。それに、既に実家の父に起こしてくれるようにお願いしておきました。最近國際電話が安くなって、親も気楽に電話できるようになりました。

攜帯の著信音で目が覚めました。寢惚けながら電話に出ると、母の甲高い聲が響いてきました。「早く起きなさい、お父さんが起こし忘れて、もうあなたに頼まれた時間より2時間も遅れてるよ!!」。私がこれで一瞬にして目が覚めました。時計を見ると、ちょうど私が家を出る予定時刻の5分前でした。思わず「間に合わん!!」と言ってしまったが、父に心配かけるまいと思い、慌てて「大丈夫です。心配しないでね」と親を安心させて電話を切った。

飛び上がり、ネットで間に合いそうな電車を探したが、やはり青春18切符で仱欷腚娷嚖扡暇┒及kの夜行に間に合いません。自分が寢過ごしたから仕方ないと自分に言い聞かせ、新幹線で京都まで行くことにしました。約14,000円の予想外旅費UPですが。。。

新幹線に仱毪長趣摔筏郡?欏?r間の餘裕が一気にたっぷりと出來ました。私が始めて自分がテレビの音、目覚まし時計と攜帯の目覚ましの音を一つも聞こえなかったことに気づいた。死んだように熟睡していました。

ゆっくり荷物の最終チェックし、家で晩禦飯を食べてから、8時に私が20キロ強のリュックを背中に載せて家を出ました。

23:24----私を仱護懇剮辛熊嚒弗喋`ンライト鬆山」がゆっくりと京都駅を出ました。青春18切符で唯一使える夜行列車、お盆休みの初日と言うこともあり、満席でした。この時期にこの列車を利用する人はほとんど青春18切符を使う人だと事前に聞いていたから、學生がいっぱいだと想像していました。しかし、仱盲皮?郡韋現心輳ㄋ餞玀餞沃肖我蝗耍─浹?曇膜轆肖?轆扡筏俊!缸罱?穩簸と摔郡瀝悉玀Δ長螭勢¥欷毪長趣頦筏勝?勝盲郡扡筏紺Δ汀F膠亭秦Nかな世間になりましたね。。。」と老人のように心の中で呟く私でした。

8月12日(日)

夜行列車の席は普通の電車の席とあまり変わりがなく、背中が倒せれると言ってもほんの僅かですから、私は夜中3時過ぎまでほとんど寢られませんでした。やっと眠ったかと思えば、30分もしない內に足が痛くなったり、腰が痛くなったりして目が覚めてしまいます。そうやって寢たり起きたりして、長い夜がやっと明け、12日朝の7:45に鬆山駅に著きました。私は1時間前に起きて、洗麵に行って顔を洗って、日焼け止めと顔中いっぱいに塗り、その上さらにファンデーションをつけました。この年になると下手に焼けたらシミが殘るからです。。。

鬆山に來たら、城好きの私が鬆山城にいかない訳がないです。私は駅前のパン屋さんでパンを食べて、コーヒーを飲んで、8時半ごろに鬆山城に向かいました。ルートは行く前にすでに調べてあったから迷わずに鬆山城に上がるロープウェーの駅に著きました。それで100m上まで上がり、さらに登り道を歩き、天守閣下に來ました。天気は抜群に良くて、晴れ晴れとしていました。寫真を撮りながら、また観光客が少ないうちに天守閣に登りました。鬆山城の天守閣はロープウェーを降りたところよりさらに67m高かったです。

鬆山城は豊臣秀吉の七本槍の一人-加藤義明が25年間かけて築いたお城です。壯大さを感じさせる大阪城や名古屋城と違って、ぱっと見は大きく感じませんが、実は本丸が山上にあり、中腹に二の丸があり、山麓に三の丸を整備した攻守の機能に優れた日本一の連立式山城と言われるほどの名城です。

私は1時間ほど鬆山城を廻り、11時半前に山を下りました。八十八ヶ所巡りの白衣や笠、金剛杖、納経帖などを事前に調べた伊予電鉄の本社ビルにある売店で購入しようとしましたが、日曜日が休みとのことでした。四國なら町中で売っているだろうと思っていたが、実際探してみるとどこにも売っていませんでした。私は焦りだして、タクシーに仱轆蓼筏俊¥長ρ預κ隴膝駿?琺`の噦炇證丹螭寺劋堡肖?盲群韋趣?勝毪人激盲郡?槨扡埂K餞嗡激盲客à轆恰⑦転手さんはすぐある仏具店に連れて行ってくれました。私はそこで取りあえず一式道具を揃えました。但し、これで私が予定していた電車にギリギリ仱贄zむことになりました。

胸を撫でて一息ついたところで、私荷物が少ないことに気付きました。チェックしてみると、なんと!私のカメラがなくなっていました!!気付いた突端に私は泣きそうになりました。カメラをタクシーの中に忘れたのです。

仕方なく、私は電車を下りてまた鬆山駅に戻りました。駅長室に忘れ物の問い合わせしたが、屆けがないとの答えでした。またも悲慘のことに、私は自分が仱盲駿駿?琺`について、色が白であることしか覚えていませんでした。駅長さんの同情たっぷりの目線の中で私がイエローページを借りて、隣の喫茶店に入り、タクシー會社に1軒ずつ聞くことにしました。カメラが無ければ私の今回の旅の楽しみが半分消えるからです。

延々と十何社のタクシー會社に問い合わせしつづけ、まだ何十社も殘ってるからどうしようと途方に暮れた私が自分に元気付けしながら次の一社に電話しました。受話器の向こうに一人のおじさんが出ました。私が「すみません、実は。。。」と言いかけたところで、彼が私の話を切って「カメラを預かっているよ」と言ってくれました。聲には笑いが混じっていました。私は思わず椅子から立ち上がり、「ああ、私です!!??/span>NIKONのデジカメです。よかった~~!!!」と大聲で叫びました。おじさんはどうしようもない娘に話すような口調で「忘れもしないでねと噦炇證丹螭?預盲郡韋恕!!!工刃Δい勝?椋à?盲瓤嘈Δ扡筏紺Δ停┭預盲皮?欷蓼筏俊?/span>

20分後に、私のカメラが手に戻ってきました。おかげで私は青春18切符が使えなくなり、次のところに急ぐために切符を購入し、特急電車に仱轆蓼筏俊%?襆槨蛐丐吮Гい啤⑺餞悉浹盲勸殘膜筏葡?搜?螄隴恧筏俊¥玀Δ長煲隕膝去楗芝毪?勝い瑜Δ耍·繞恧轆勝?楗ぅē愆`ページを貸してくれた駅長さん、カメラを預かってくれたタクシーの噦炇證丹螭斡H切に心から感謝しました。

特急列車を1時間半も仱輟⑺餞蠍坻鹵hの隣の香川県に近い川之江と言うところで降りました。それから山道を一時間ほど歩き、65番劄所の三角寺に著きました。ここに辿り著くまで何回も冷や汗をかきましたが、やっと計畫通りに著くことが出來ました。山の風に吹かれながら、私は靜かに本尊11麵観音の前でお祈りしました。

 



































 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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