正文

內田裕也,別睡,起來搖滾!

(2019-04-07 02:14:49) 下一個

翻譯了內田也哉子在父親葬禮上的致辭。

因為喜歡她的母親—樹木希林。 

樹木希林與內田裕也的婚姻持續45年,分居43年。 

2018年9月15日樹木希林因癌症在家中去世。 

今年3月17日,被日本搖滾界膜拜的內田裕也,因為肺炎也離開了。

她們的女兒內田也哉子在父親葬禮上的致辭,堪稱佳作,令人感懷不已。 旅日作家@毛丹青評價其為“迄今為止日文悼詞中最牛的一篇,沒有第二。無論從立意,還是措辭和描寫都超過所謂的文學家。”

網上看到的中譯文,一些重要的部分與我理解的原文有明顯的不同,如鯁在喉。

在午後的陽光裏,嚐試著將這些文字翻譯成了中文。這是第一次完整地翻譯一個作品,有再創作的喜悅和滿足。以此致敬逝者和家人,也釋懷自己。——歲月如歌

以下是譯文(日文原文附後)

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坦率地說,我並不了解自己的父親。更準確地說是不太可能了解他。而這並不僅僅因為,我們共同生活的時間隻有幾個星期。正如母親生前曾說過那樣,沒有誰像他一樣,難以琢磨,也沒有誰如他一樣,簡單易懂。內田裕也是一個充滿人性矛盾的集合體。我之所以無法更多地了解他,根本的原因正在於此。 

我所知道的內田裕也,如同一座隨時可能噴發的火山。同時,又像熔岩間,一棵無與倫比的野花,純淨無垢,恣意綻放。 

坦白講,看著他停止呼吸,身體變涼,入棺納殮,焚骨成灰,奪眶而出的淚水,竟令自己困惑不已。我想,一定是因為,這段虛幻般存在的父親和女兒的故事,還沒有意識到開始,卻已悄然落幕。但是,今天,此時此刻,呈現在眼前的這一切,對我來說,並不僅僅是一個儀式。為了送別內田裕也而聚在這裏的每一個人,帶著與父親真實的交集,形成看不見,卻可以真實感受到的巨大氣場,將這裏淹沒,甚至,正衝破這有限的空間。內田裕也,你到底無法僅僅用“父親”這一個概念來詮釋,他嘶吼,糾纏,爭辯,歡喜,摔倒,沉默,然後再摔倒,由此引發的不間斷的震動被在座的各位真實地感知過。 

“除此之外,你還想知道些什麽?”父親會這樣對我說吧。 

我自問,父親曾教會過我什麽?誇張點說,也許就是對生命的敬畏。他的存在是空前的,雖然做的事情,經常讓人頭大,但他絕不是個奸猾的家夥。沒什麽地位和名譽,但是,卻從不缺乏在疾風暴雨中及時伸出援手的摯友親朋。 

“人活著,還奢望什麽呢?”仿佛聽到他這樣說。 

母親晚年的時候,曾滿懷愧疚地念叨過,說自己徒有妻子的虛名,卻不曾為丈夫做過什麽。“隻是因為被這樣的自己抓住了呢…”她看著遠方,這樣說。然後,對近半個世紀的婚姻關係中,不斷更替出現的父親的戀人們,母親用盡各種方式,向她們表達感謝。我並不喜歡這樣說漂亮話的母親。沒想到,她竟是認真的。在她的概念裏,好像從來都不認為“丈夫是屬於自己的”。 誠然,人,來到這個世界,原本就是獨立的個體,不屬於任何人。 雖然知道世間的一般法則,可僅僅因為某種緣分做了夫妻,就將彼此的責任完全捆綁在一起,總感覺哪裏不對。事實上,母親是遵從自己的自由意誌做了這樣的選擇。而父親,也選擇了身心都不拘泥於同一個女性的自由人生。 

曾經,他們給身邊的人帶來莫大的困擾。對此,我感到非常抱歉。對於這種特殊的“混沌”,現在的我,選擇全然接受。這兩個人的存在,仿佛海市蜃樓般虛幻,又不容置疑地真實。而我,正作為兩人存在過的證明站在這裏。他們的遺傳基因,也會通過我,向下一個世代流轉。 

這種被自然法則裹挾之下的“混沌”,竟是一件如此有趣的事情。 

父親七十九年的漫長人生,承蒙各位關照,謝謝大家!最後,我想用內田裕也的方式,為他送別! 

他媽的,內田裕也, 

別安靜地躺著, 

起來,搖滾! 

2019.4.3 

內田也哉子

 

以下是日語原文:

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本日はお忙しいところ、父、內田裕也のロックンロール葬にご參列いただきまして、誠にありがとうございます。親族代表として、ご挨拶をさせていただきます。

 私は正直、父をあまりよく知りません。「わかりえない」という言葉の方が正確かもしれません。けれどそこは、ここまで共に過ごした時間の合計が數週間にも満たないからというだけではなく、生前、母が口にしたように「こんなにわかりにくくて、こんなにわかりやすい人はいない。世の中の矛盾をすべて表しているのが內田裕也」ということが根本にあるように思えます。私の知りうる裕也は、いつ噴火をするかわからない火山であり、それと同時に、溶岩の狹間で物ともせずに咲いた野花のように、清々しく無垢な存在でもありました。

 率直に言えば、父が息を引き取り、冷たくなり、棺に入れられ、熱い炎で焼かれ、ひからびた骨と化してもなお、私の心は、涙でにじむことさえ戸惑っていました。きっと、実感のない父と娘の物語が、はじまりにも気付かないうちに幕を閉じたからでしょう。けれども、きょう、この瞬間、目の前に広がる光景は、私にとっては単なるセレモニーではありません。裕也を見屆けようと集まられたお一人、お一人が持つ、父との交感の真実が、目に見えぬ巨大な気配と化し、この會場を埋め盡くし、ほとばしっています。父親という概念には、到底、おさまりきらなかった內田裕也という人間が叫び、交わり、噛みつき、歓喜し、転び、沈黙し、また転がり続けた震動を、皆さんは確かに感じ取っていた。

 「これ以上、お前は何が知りたいんだ」

 きっと、父もそう言うでしょう…。

 そして、自問します。私が唯一、父から教わったことは、何だったのか? それは、たぶん、大げさに言えば、生きとし生けるものへの畏敬の念かもしれません。彼は破天荒で、時に手に負えない人だったけど、ズルイ奴ではなかったこと。地位も名譽もないけれど、どんな嵐の中でも駆けつけてくれる友だけはいる。

 「これ以上、生きる上で何を望むんだ」

 そう、聞こえてきます。

 母は晩年、自分は妻として名ばかりで、夫に何もしてこなかった、と申し訳なさそうに呟くことがありました。「こんな自分に捕まっちゃったばかりに…」と遠い目をして言うのです。そして、半世紀近い婚姻関係の中、折り折りに入れ替わる父の戀人たちに、あらゆる形で感謝をしてきました。私はそんな綺麗事を言う母が嫌いでしたが、彼女はとんでもなく本気でした。まるで、はなから夫は自分のもの、という概念がなかったかのように。勿論、人は生まれもって誰のものでもなく個人です。歴とした世間の道理は承知していても、何かの縁で出會い、夫婦の取り決めを交わしただけで、互いの一切合切の責任を取り合うというのも、どこか腑に落ちません。けれども、真実は、母がその在り方を自由意誌で選んだのです。そして、父もひとりの女性にとらわれず心身共に自由な獨立を選んだのです。

 2人を取り巻く周囲に、これまで多大な迷惑をかけたことを謝罪しつつ、今更ですが、このある種のカオスを私は受け入れることにしました。まるで蜃気樓のように、でも確かに存在した2人。私という2人の証がここに立ち、また2人の遺伝子は次の時代へと流転していく…。

 この自然の摂理に包まれたカオスも、なかなか麵白いものです!

 79年という永い間、父がほんとうにお世話になりました。最後は、彼らしく送りたいと思います。

 Fuckin’ Yuya Uchida,don’t rest in peace just Rock’n Roll!!!

2019年4月3日

喪主 內田也哉子

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