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<混浴>“絶滅”危機 殘せるか大自然の魔法

(2014-01-22 15:13:06) 下一個

<混浴>“絶滅”危機 殘せるか大自然の魔法

毎日新聞 1月22日(水)14時12分配信

<混浴>“絶滅”危機 殘せるか大自然の魔法

混浴の露天風呂で日の出を楽しむ男女客。北川溫泉の黒根岩風呂は入浴料600円。
同溫泉の宿泊客は無料だ=2014年1月17日午前6時54分、小國綾子撮影

 混浴が絶滅の危機にあると聞いて、なぜか胸がチクリと痛んだ。大切なものが失われる感じがして。でも、そもそも日本人にとって混浴文化って何だろう。失ってはいけないものなのか。太平洋を望む露天風呂につかりながら考えた。【小國綾子】

【男性も女性も、老いも若きも、み~んな一緒】露天ワイン風呂で乾杯

入るべきか、入らざるべきか--それが問題だ。

靜岡県東伊豆町の北川溫泉にある公営露天風呂「黒根岩風呂」。簡素な女性脫衣所から混浴の風呂をのぞき見れば男性ばかり3人。女性はいない。いくらバスタオルを巻いてよいと言われても「男湯」狀態に一人で切り込むのはツライ。仕方なく女性専用風呂で「仲間」を待つ。15分後、カップルがふらり。混浴風呂を見れば、先ほどの男性たちの姿はもうない。チャンス到來だ。

女2人に男1人。恥ずかしさが薄らいだのは「數は力」ということか。目の前はすぐ海。砕ける白い波の荒々しい音。すごい迫力だ。混浴の魅力を尋ねたら「一緒に入れること」と仲良い返事。私はお邪魔かな。

そこへ米國人の夫と日本人の妻の夫婦が加わった。米國在住で、妻の裏帰りの途中、海の見える溫泉を求めてここを見つけたそうだ。「アメリカでは水著著用のスパの方が多い。僕は日本の溫泉が好きだから混浴も平気だけどね」。日米風呂談議で盛り上がるうち、恥ずかしさはどこかに消えていた。

? 混浴風呂の數が激減しているという。「だから混浴はやめられない」などの著書のある溫泉エッセイスト、山崎まゆみさん(43)は「正確な數は分からないが、この10年でも相當減りました。増改築の際、保健所の指導を受け、混浴を諦める宿が多い」と話す。なぜか。実は混浴、厳密には「違法」なのである。

旅館業法では「(共同浴室は)原則として男女別に分け、各1カ所以上のものを有すること」とある。公衆浴場法に基づいて定められた都道府県の條例も男女別浴室の設置や一定年齢以上の混浴禁止をうたう。「古くからの施設や湯治場は黙認してもらっている狀態」(山崎さん)だというのだ。

もう一つ、混浴を危機にさらしているのが「ワニ」の存在だ。女性が入ってくるのを湯船で待ち続ける男の格好が水に潛むワニそっくりなことから、こう呼ばれる。「露天風呂ブームで混浴に挑戦する若い女性が増えた結果、そうした不審者がはびこるようになった。クレームも多くなり、トラブルを避けるために混浴をやめる施設も出てきています」

「混浴文化を守りたい人の多くは男性じゃないの」。ずばり言うのは溫泉取材歴45年の旅行作家、竹村節子さん(76)だ。虛を突かれた。「混浴が消える」と聞いて胸が痛んだ私だったが、果たして男性と入浴すること自體が好きなのか? いいや、違う。湯質が良かったり、大自然の景色が素晴らしかったり、好きになった溫泉が混浴だった、それだけだ。

竹村さんは言う。「混浴が暮らしの中に根付いていた昔の東北地方では混浴にも作法があった。見るでも見ないでもなく目の光を消し、後から入る人と上手な距離感を保ったものです。今は違う。4年前には大分県の別府で秘湯巡り中の女性が殺された。危険も知っておくべきです」



? 混浴を支持する人の間では「日本固有の文化だから」という聲がある。しかし溫泉評論家の石川理夫さん(66)は「混浴は古今東西で見られます。それに世界でも日本でも、混浴では體を隠す湯具をつけるのが一般的。全裸での混浴は日本の伝統とはいえません」と否定する。江戸時代の銭湯に入り込み湯(混浴)が多かったのは「水や燃料不足に加え、男性客が圧倒的に多く、男女を分けるのは経済的ではなかったから。混浴禁止のお觸れも何度か出されたが、なかなか浸透しませんでした。そのころは男は湯ふんどし、女性も『湯もじ』と呼ばれる腰巻きを身につけて入浴するのが一般的で、手ぬぐい1本で隠すスタイルになったのは江戸後期になってからです」。そこへたまたま黒船がやってきて外國人が日本の“全裸”混浴風景に驚き、近代化を急ぐ明治政府の混浴禁止令につながった--というわけだ。

一方、竹村さんはこう解説する。「かつて混浴が多かったのは、単に女性が旅行をしない時代だったから。60年代まで溫泉は団體旅行で芸者を呼ぶ『男の遊び場』でした。女性が旅を始めたのは70年代。オイルショックで団體旅行が減り、困った溫泉旅館は女性客を救世主と見て女性風呂を充実させたのです」

「ワニ」はいるし「固有の文化」でもない。ならば混浴は絶滅してしまってよいのか。

“混浴派”の山崎さんに魅力を聞いてみた。「圧倒的にロケーションが良いこと。手付かずの自然の中にあることが多く、混浴ならではの大自然の感動が味わえる。湯質が良い場所も多い。また、東北地方の共同浴場などでは地元のおじいちゃんから土地のおいしいものの話を聞いたり、旅先のコミュニケーションも魅力。最近は女性が入りやすいよう混浴施設の方も工夫するようになりました」

私が訪ねた黒根岩風呂でも、3年前に女性専用露天風呂を造った。管理する北川溫泉観光協會は「女性だけでなく男性からも好評です。夜7~9時は女性専用時間に設定しています。混浴露天風呂は北川溫泉の財産。どうにか守り続けたい」という。

「湯治場としての混浴は守りたい」と言うのは竹村さんだ。96歳で亡くなる1年前、車イスの父青森県十和田市の穀地溫泉に湯治に連れて行った。「一日また一日と父は食欲を取り戻し、體力をつけ、1週間後、車イスなしで歩けるようになっていた。湯治場で混浴がなお多く殘るのは、夫婦や親子が入浴を介助できるから。混浴を切実に必要とする人たちがいるのです」

? 再び、黒根岩風呂。「わああ、日の出。きたきたきたきたー」。朝6時50分、大島のすぐ近くから真っ赤な太陽が昇る。不思議なもので、雲の合間から真っ赤な日の出が見えた途端、夫婦連れを中心にした男女約10人が一気に打ち解けた気がした。大自然の魔法だろうか。混浴は初めてという女性2人組は「こんな日の出を見ちゃうと、恥ずかしさも吹き飛びます」。

竹村さんの言葉をふと思い出した。「溫泉は人とともに歴史を刻んできた。混浴もそう。混浴の將來は、人々がそれを求めるのか、マナーを守れるのか、その場を大事にできるのかでしょうね

混浴の運命を握るのは、私たちなんだな。いつの間にか、太陽はすっかり空の上。冬うらら。今日もいい天気だ。

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