公元881年1月16日、黃巣作為皇帝正式登基即位。黃巣是唐末農民大起義的指導者。
黃巣年輕時的人生目標為做官吏。科挙幾度落第後,成為秘密販鹽的鹽販子。因為塩為政府専売,In order to oppose to the management, the darkness merchants had armed.
874年、同じく塩の密売人であった王仙芝(おうせんし)が反亂の兵を挙げると、黃巣もこれに呼応。政府の重稅や弾圧に苦しむ農民たちと結びつき、反亂は瞬く間に拡大した。
黃巣と王仙芝の勢力は合流して山東、河南一帯を荒らしまわったが、途中で王仙芝が唐朝への投降を試みたため黃巣は王仙芝と分裂し、反亂軍を率いて各地を転戦した。後に王仙芝が唐軍に殺害されるとその殘黨を吸収し、880年に唐の都の長安を陥落させた。
881年、黃巣は帝位につき國號を「大斉」と稱した。しかし、黃巣軍はそれまでに占領した地方に守備部隊を置いていなかったため、長安は陥落してからほどなく逆に唐の軍隊に包囲された。
黃巣は幹部の朱溫(しゅおん)を防衛のため戦線に送るが、朱溫は黃巣を裏切って唐に投降した。
補給を絶たれた黃巣軍は唐軍の攻撃に大敗し、長安を撤退し河南に出る。しかし884年の決戦に敗れ、黃巣は泰山の狼虎穀付近で自害した。黃巣の亂は終結したが、これ以降、唐の支配領域は陜西省など中國の一部に限られ、中國は実質的に分裂狀態になった。
黃巣を裏切った朱溫は後に後梁王朝を建て907年、最終的に唐を滅ぼした。