高校生の立場で
諸君、人生とは何であろう?人間とは何であろう?
なぜ我々は生きているのだろう?
こんなことは、誰にもわからないのだ。わかってはいけないのだ。
だがしかし、常に、何事にも疑い持つことを忘れてはならない。
探究心、知りたいという欲求にこそ生きる「意味」があるのだと私は考える。
高校生、多くの人が、ここに青春があると考えている。
青春とは何であろうか?
有名な「青春」という詩の冒頭で、ウルマンは青春とは「心の様相」だと書いている。逆に考えると、いくら高校生でも心の有様では青春を謳歌することはできないということだ。
社會、この作為的に作られた複雑なメカリズムに対し、諸君はどのように接していくつもりか?
社會というものは、人間にとって、避けられないものである。社會なしには生きていけず、そして人は社會を作り出してしまうからだ。
ジンメルという哲學者の格言で「一般に青年が主張する內容は正しくない。しかし、青年がそれを主張すること自體は正しい。」というものがある。
なるほど、なにも不安になることはないのだ。皆、大いに自分の意見を主張しようではないか?社會は、そして學校という場は、高校生のこのような主張に非常に寛大なのだ。自分の意見が間違っているなどということは気にせずに、疑いの目を持って小さなこと、大きいことを考えてみよう。大人になってしまう前に。