日本生まれ育ちの中國人が葛藤を乗り越えるまで目
Chi2eseメンバーの生態②アイデンティティの形を追って。
華僑?華人、そして日中ハーフと一口に言っても、実際には多種多様なアイデンティティの形が存在します。連載第一弾では、中國の政治や社會に関する鋭い洞察で知られるインフルエンサー?孫彌(@SonmiChina)の物語をお屆けしましたが、第二弾では日本で生まれ育った中國人?YiYiとしゃんいの物語を紹介します。今回紹介する二人は、中國人の両親の元に生まれながらも日本で生まれ育ち、母語も日本語で元々中國語を話すことができなかったため、日本と中國の狹間でアイデンティティの葛藤を経験してきました。しかしとあるきっかけから中國人としての自分と向き合うようになり、中國留學を経て確固たる自己認識を確立し、アイデンティティを強みとして生かそうとしています。そんな二人の経験は、Chi2ese Newsというメディアを設立する強いモチベーションともなりました。
華人アイデンティ(YiYiの場合)
「日本で生まれ育った中國人」という自己認識が形成されたのにはいくつかのきっかけがありました。それを自分の人生を振り返るような形で紹介したいと思います。
「君ってハーフなの?」最初に自分のアイデンティティについて考えたのは小學3年生の時でした。
當時公立小學校に通っていた私は5月に親の裏帰りに同行して上海に行くことになり、學校を2日ほど休まざるを得なかったことがありました。
その際に同級生になぜ學校を休んだのか聞かれて「中國に行っていたんだ」と答えました。
すると、その同級生は得心した顔で 「そっか、君ってハーフだもんね」
と言ってきたんですね。內心、私は動揺しました。私は「ハーフ」ではないのです。私は內心考えました。「ハーフじゃない、両親は2人とも中國人なんだ」
では「自分」とはどんな存在なのか。小學生ながら混亂してしまったことを覚えています。
友達に渡すお土産に悩む
次に悩んだのは、私が中學生になった時でした。中學でも両親と中國に行く機會がありあした。中國に行くたびに私を悩ませるのは何を「お土産」に買えばいいのかということでした。
僕は経験的に
「日本人の口に中國のお菓子は合わない」
というのを知っていました。また、私が中學生のときは「段ボール肉まん」の事件が世間を騒がせていて、中國のお菓子は大多數が自分の口にすら合わず、よしんば適當なものを見つけられたとしても同級生は怖がって食べてくれないのではないかと心配になりました。
今振り返って考えてみると、これは決して「お土産」の問題ではなく、「中國」にルーツを持つ「自分」をどのように扱えばいいのか、私の中で混亂があったことを象徴しています。
「中國の小説って麵白い」
自分の中の「中國」に悩む僕でしたが、高校生に進學するころには「中國」と一生向き合っていくんだろうなと覚悟し、逆にそれを利用できないかということを考え始めました。きっかけは、つい先日お亡くなりになられた金庸先生の武俠小説です。
彼の武俠小説は登場する拳法がクールでそれだけでも十分魅力的なのですが、最も人を惹きつけるのは江湖を舞台に繰り広げられる人間の愛憎劇です。その影響もあって、高校2年生の最初は外國語大學に進學し、翻訳家になろうと思っていました。
「中國語」を褒められる體験
晴れて大學に進學した4月、私は運命的な出會いをはたします。それは私の人生観を大きく変えてしまう體験。「留學」です。大學が主催する留學説明會に參加した私は、「ダブルディグリープログラム」(學位取得の交換留學、通稱DD)の説明を受けて魅了されてしまい、北京大學DDに挑戦しようと思い立ちました。北京大學DDの修了には高い中國語能力が要求され、私はこれに挑戦するために中國語の勉強を本格的に始めました。最初に大きな変化があったのは2016年の3月、北京大學への1か月滯在する短期研修プログラムに參加した時のことです。中國語力が周囲も自分も驚くほど飛躍的に伸び、人生で初めて人から褒められるものが見つかったことも嬉しく、朝から晩まで中國語を話していました。
その後選考をクリアして実際に北京大學に派遣されることになります。
北京大學での出會い コンプレックスと「自己」の確立
実際にダブル?ディグリー?プログラムに派遣されて、本當に多くの出會いがありました。日本人?ハーフ?そして自分のような華人にも出會いました。
その中でも自分の中に印象に殘っている出會いは、「中國語を母語と同じレベルで操る在日華人」の存在でした。
その方は中國への2~3年ほどの居住歴があるのですが、正直私は嫉妬していました。
「自分と同じような條件に生まれながら中國語に不自由がないのが羨ましい」
かつて多くの人に褒められた自身の中國語が大したことがない、取るに足らないものであるかのように思えるようになり、再び「自分」とは何か?という問題が浮上します。
自信を喪失した私に1つの転機が訪れます。
それが今も交際しているパートナーとの出會いでした。彼女との交流を通して中國語能力はメキメキ上達し、自分にも自信が持てるようになりました。
自己認識をめぐる問題への解答
振り返ると、人生において常に「自分とは何か?」という問いと向かい合ってきたように思います。この問いはきっと私だけのものではありません。國籍や生まれを問わず、すべての人が1度は向き合う問題だろうと思います。私の場合は、それに向き合う上で「中國」をどのように処理すればいいのか、という問題が避けられないというだけの話です。
私は「自分の中の中國」を考え「それを利用して人と差別化していこう」とする戦略をとることにしました。たくさんの人との出會いを通してそう思えるようになりました。
しゃんいの場合
はじめまして、しゃんいと申します!簡単に自己紹介をすると、僕は福建省出身の両親のもとに生まれ日本で育った中國人(國籍も中國)です。現在は都內W大學に通う大學生です。幼い頃から中國人であることに葛藤し続けてきたので、その辺も含めて今回記事にしていこうと思います!
生い立ち
中國改革開放時代、父が憧れの先進國?日本に留學し、母も働いて父の學費を賄う為に來日しました。日本語が分からない狀態で大変な日々(ありえないくらい大変だったと思う)を過ごす中、僕が生まれました。
しかし経済的に困難であったため、僕は生まれて間もない頃に、中國の祖父母に預けられることになりました。
3歳まで中國で生活した後、家族で一緒に生活すべく改めて來日し、それ以降ずっと日本で暮らしています。
中國が大っ嫌い。
両親が中國人であるにも関わらず、僕は本當に中國が大っ嫌いでした。
中國人って素行悪いし、トイレも汚いし、中國語も理解できず、2年に一度帰省するのが本當に憂鬱でした。しかも中高では「チャパニーズ」とからかわれ、中國人である自分が嫌になりました。大學の第二外國語で中國語勉強するのも嫌でたまらず、中國人なのに中國語を再履になるくらい中國語が嫌いでした。
中國を受け入れるきっかけ
そんな中國を受け入れることが出來なかった中で、大學で中國を受け入れなければいけなかったなと思う経験がありました。それはW大學の「體験の言語化」を受講したこと。
この授業は、自分が體験したモヤモヤの原因を解析し、そこから社會問題を導き出すというものです。
僕が體験したモヤモヤは
“中國人の祖父に誕生日を祝う15分ほどの電話をした時に、號泣してしまった”
という経験です。自分でも、なんで泣いてしまったのかわからずずっとモヤモヤしていました。
しかし、この授業でモヤモヤの要因を解析するにつれて、三年間自分を育ててくれた祖父に、感謝の気持ちを伝えられない(中國語がわからない)ことによる自分への怒り、不甲斐なさ。そして祖父への申し訳なさ。
これらの感情が爆発して、自分は泣き出してしまったんだということがわかりました。
この體験を「言語化」することにより、やっぱり自分は中國人だということ、そして中國語と真剣に向き合わなければいけないことを実感しました。そして、一度中國に行って自分のアイデンティティを確認しよう、そして、祖父に中國語で自分の気持ちを伝えられるようにしよう、という想いで中國留學を決意しました。
中國人が中國に留學してみた
いざ中國に留學してみようとしてみると、なんと中國國籍を受け入れてくれる中國の大學はほとんどありませんでした。
なんとか語學留學できる北京の大學を探し出し、半年間の留學生活が始まりました。
「中國語話せるようになるやん」とウキウキな気持ちで挑んだ留學生活で僕が抱いたは、圧倒的自己嫌悪でした。
「中國人なのになぜ中國語を勉強してるの?」と中國人にからかわれたり、中國育ちの日本人と出會って、「なんでこの人は自分と違って日本語も中國語も話せるんだろう」と勝手に劣等感を抱いていました。
あげくの果てに、連休の際に訪れた親戚の家では、「なんでお前は中國を捨てて日本で暮らしているんだ」と罵られる扱い。中國人であることに対して圧倒的劣等感を抱いた瞬間でした。
日中ハーフあるある
そんな時に、あるハーフの方が作製した動畫に出會いました。
この動畫を見て、僕は思わず泣いてしまいました。
自分以外にもアイデンティティについて悩んでいる人がいる、
そしてそれを乗り越えようとしている人がいる。
すぐさま、動畫作製者に連絡を取り、自分の悩みを相談しました。
そこで強く感じたのは、
「日本と中國の両方を知る日本華僑として、その架け橋になろう。そして、同じ悩みを抱える人たちの支えになろう」ということでした。
この経験が、華人交流會やChi2eseNewsを立ち上げるきっかけでした。
Chi2ese設立!
「日中ハーフあるある」の動畫に刺激され、とりあえず日本在住の華僑?華人や日中ハーフを集めて交流會をやろうと決意しました。
友達の友達を呼ぶという芋づる式で人を誘ったり、インフルエンサーにPRをお願いして、開催二回目にはなんと30人も參加してくれました。交流會には、學生から社會人、様々なバックグラウンドを持った人が參加し、日本語と中國語、時々上海語などの方言が飛び交う飲み會に!
そして飲み會からわずか1週間で、「華僑や日中ハーフならではの目線で中國関連のニュースや情報を分かりやすく伝える」というコンセプトで、Chi2ese News(チャイニーズ?ニュース)が始動!
“Chi2ese仲間” たちの情熱とバイタリティを感じる出來事でした。
日本育ちの中國人として
幼い頃からずっと中國人であることに葛藤し続けていましたが、中國人であることが、自分を自分たらしめているんだなと思います。
逆に、自分にしかない「らしさ」として受け入れてそれを強みに変えて生きていこうと思います!
最後に
連載第二弾では、「日本で生まれ育った中國人」であるYiYiとしゃんいの物語をお屆けしました。アイデンティティの葛藤を確固たる自己認識や強みに変えるまでの二人の軌跡に共感した、応援したくなった、と思っていただけたなら幸いです!第三弾では、日中ハーフOL?あるあると、華僑二世女子大生?まーしゃによる、第三國での異文化體験や中國以外の國にルーツを持つハーフとの交流を通して見えてきたアイデンティティのお話をお屆けします。
異文化に身を置く中で見えてきたアイデンティティ
目次一覧 [hide]
· 1 みんな違ってみんな良い
· 2 お弁當の水餃子が臭いとディスられ自分のアイデンティティを見つめ直す
今回は、日本と中國に加え、アメリカ/スペインという第三國での異文化體験や中國以外の國にルーツを持つハーフとの交流を通して、自分のアイデンティティを見つめ直すようになったあるあるとまーしゃの物語を紹介します。
お弁當の水餃子が臭いとディスられ自分のアイデンティティを見つめ直す
*あるあるの場合アメリカに交換留學に行く前までは中國と日本で生活していたし、本格的に自分のルーツとは無関係な土地で長期的に生活した経験はなかった。
アメリカでの交換留學は中國の大學で3年過ごした後だったし、また新しい場所と言語と文化に慣れればそれで大丈夫だろう、と思っていたが、まさかまた自分への定義に迷い始めるとは…
アメリカでの留學で3年ぶりに「中國にルーツも強い関心も特にない」同年代の日本人大學生と共に過ごす事になった。それまでの大學生活の中で、獨特な匂いのする學食でニラやニンニクが入った水餃子に黒酢をつけて食べるのは「あたりまえ」、次の日まで服に臭いが殘り続ける火鍋を友人とガッツクのも「あたりまえ」、きつい匂いする羊の串焼きをちょっとお気に入りの男子と食べるの「あたりまえ」な生活をしてた。
留學2ヶ月目、ホストファミリーが作ってくれるステーキやサンドイッチの食生活にも飽き、水餃子をお弁當箱に詰め込んだ。その日の晝、黒酢をつけて「いただきます」と言いかけたその時。
「う…何この生ゴミみたいなヤバイ匂い…」
え…?
私は今、目の前にあるご馳走を生ゴミとディスられた…?
「おい、あるあるのお弁當が悪臭放ってるぞ!」
ナンダッテ…?
水餃子に黒酢をかけて食べる私に何の罪があるんだ?(中國ではメジャーな食べ方)
周りの日本人留學生達に餃子を臭いとディスられ、その後數日孤獨に苛まれる。
自分にとってのご馳走を何故、顔貌が同じで言葉も通じる日本人と分かち會えないのか…
You are so Chinese
私がアメリカの現地人と話す時、どこの國から來たか明かさなければ、アジア訛りの英語とアジア人の見た目以外の情報は伝わらない。
米中ハーフの友人には、振る舞いの端々があまりに中國人らしいために
「君は僕の中では中國人として登録されてるから」と言われた。
なるほど。私は日本人と分かり合えない物があるし、アメリカ育ちのアジア係移民の同年代から見ても中國人ぽいのか。3年の大學生活で無意識のうちに中國に染まってたのか、まあ元から半分中國人だったけど。
そんなアイデンティティのブレから、何となく自分とルーツが似ている人を探し始めた。
探してみると、謎にたくさんいる…私の留學していたシアトルには日中ハーフや日本育ちの華人が正規生としてたくさん留學していた。
「あなたも日中ハーフだったのね!」
そんな瞬間、なんだか妙な仲間意識が芽生えてしまう自分に気づいた。
あーこの人達になら、なんだか自分の本音を全てさらけ出せるなぁ…そう思った輪は事もあろうか、日本と上海にルーツがある仲良しグループだった。
異文化を知るためにアメリカまで留學したはずなのに何やってるんだ自分…。
結局みんな人間
なんだかんだで、自分の食べ慣れない食べ物の匂いを「悪臭」と認識してしまうのも人間、自分と文化的ルーツが同じ人と一緒にいると安心してしまうのも人間。私達ハーフは異文化の男女の間に生まれたけれども、まだまだ異文化と完全に共生するための柔軟性は鍛えていかないとね。
でもきっと、日本人と中國人の間の仲を取り持つ事なら得意かもしれない。大人になった私達の「何を受け入れらて、何を受け入れられないか」心の根っこに染み付いた選定基準は、幼少期から今までの経験によって作られている。生まれた時から日本と中國の文化が家族や友達の中に見えていた私達には、何か出來る事があるかもしれない。
だから、日本人と中國人を心通わせる仲間にしたいという事は、どこの國に居ようと、社會人になった今でも思い続けている。
日中間の 「反復橫跳び」で確立された華人アイデンティティ
目次一覧 [hide]
· 1 アイデンティティの形
· 2 「日本生まれの中國人」
· 3 「小日本って言うな!」中國の愛國主義教育にどっぷりの小學生時代
· 4 「毒餃子って言うな!」日本に來て揺らぐ自信とアイデンティティ
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アイデンティティの形
華僑?華人、そして日中ハーフと一口に言っても、実際には多種多様なアイデンティティの形が存在します。
Chi2eseニュースのWebサイトオープン一発目の企畫として、編集員たちのアイデンティティに関する物語を全3回の連載でお屆けします。彼らの物語を通じて、私たちのChi2eseニュース立ち上げにかける熱い想いを感じ取っていただければ幸いです。
連載第一弾として、日本で生まれ中國と日本の両方で育った中國人で、中國の政治?社會に関する鋭い洞察で知られるソンミ(@SonmiChina)の物語をお屆けします。
「日本生まれの中國人」
「孫彌」の名でツイッターをやっているソンミです。
プロフィールでは「日本生まれの中國人」という一言で済ませていますが、さらに言えば「日本で生まれたのち、日中間を高速で往復しまくった中國人」になります。
親の仕事の関係で小學生までは1年おきに日中を転々とし、
小學校は中國、中學校は日本、高校は中國、大學は日本???
と、もはや國家を跨ぐ反復橫跳び。累計で言えば、日本が13年と中國が10年になります。そのお陰で日中ともにネイティブ並に話せるようになりましたが、當然ながらつらい経験もたくさん???さらに、高校の一部はアメリカに海を超えて棒高跳び(留學)し、その姿はさぞセワシなかったことでしょう。
この経歴を人に言うと基本的に「羨ましい」「華やかだ」と言われます。
しかし、本當に「華やか」なのだろうか?
僕は、どこまでも泥臭い生き方だったと感じています。
「小日本って言うな!」中國の愛國主義教育にどっぷりの小學生時代
「紅領巾」と「小紅花」というものはご存知でしょうか。
畫像にある「紅領巾」は中國の小學生ならだれもがつけなければならない赤いスカーフで、これは「革命戦士の血糊に塗られた國旗の一角」と例えられているんですね?
グロい?いいえ。「革命戦士の血糊」なのでグロくありません。神聖です。革命戦士のものですから。
祖國を守ってくれた人たちの血糊を首に巻きつけてもグロくもなんともありません。
なんならこれをつけて、毎週一回校庭で全校生徒で國旗掲揚を見つめながら國歌を歌うんですから。
なんと美しい…(恍惚)こんな狀態でした。小學生の頃は。それはもうぼくだけじゃなくて、多分全校生徒が。
みんなが同じ血糊スカーフを首に巻きつけて國歌斉唱するわけですから、一體感がすごいですよね。所屬欲求が満たされ、大きな使命感に燃えるわけです。祖國の振興のための。
そして、この素晴らしい感情をどう維持するかといえば、「小紅花」の出番です。
これは簡単に言えば「良いことをするともらえるご褒美のステッカー」というもの。
みんなはコレのために頑張るわけですね。愛國的な事を言うともらえたり、他の生徒の悪行を先生に密告すると貰えたりします。
そして、何か悪いことをしたら剝がされます。みんなの前でスゴイ雑に剝がされます。そして剝がされた子は泣きながら反省の弁を述べるわけですね。
なんてディストピアな素晴らしいシステムでしょうか。
もらっても剝がされても一銭の損得にもならないですが、単純な子供たちはこの単純なアメとムチのシステムで愛國的に育つわけなんですね。
僕もそんな愛國的少年の一人だったのでした。
そんな愛國的な少年だっからこそ許せなかったこと。
それは僕が日本で生まれたことを引き合いに出して「小日本!」とか罵ってくる輩たちですね。
僕はこんなにも愛國的なのに!!ヽ(`Д´#)? ?????!!
と毎回怒っていましたが、ついには止みませんでした。
日本の「いじめ」とは全然レベルが違いますが、まあ子供にありがちな嫌がらせですよね。
「毒餃子って言うな!」日本に來て揺らぐ自信とアイデンティティ
中學校では、日本に來ました。
その間に日中間では何が起こったかというと
こんなことや…こんなこと…そしてこんなことも…
日本の嫌中感情が戦後もっとも悪いと言われていた時期でした。
ツイッターでは今でも僕が「被害者意識が強すぎる」という人がいます。
確かに被害者意識は強いかもしれません。しかしそれは、世論調査で國民の八割が「中國に親しみを感じない」と答えていた時期に、多感な中學時代を過ごしていたからではないかと思いっています。
80年代に日本に來て、すでにコミュニティを形成した華僑にはわからない、二世の苦しみがここにはあるのです。それは、アイデンティティを形作るそんな時期において、周りのほとんどの人が「君の出身國家はダメだ」というイメージを持っている時の不安感です。
それは中學校においても同じでした。
確か當時は「中國産毒餃子事件」がまだ記憶に新しかった頃。
日本に來て開口一番「お前毒餃子食ってるだろ」と言われた時のショックたるや…
結局學校では馴染めず、いじめられたり、喧嘩したりしていた日々でした。
字數の関係で過程の方は割愛しますが、一度転校し、途中も色々あって、
結局は徐々に日本に適応していって、いじめられることもなくなりました。
しかし、その適応の過程で失ったものもあります。
それが小學生時代に持っていた自國に対する自信と、確固たるアイデンティティでした。
アイデンティティが否定される…
多くの人はこんな経験はあまりしないと思います。
その苦しみは、結構なものです。
そこから、新しいアイデンティティの模索が始まったように思います。
「僕は中國人」から「僕は華人」へ
その後、高校にまた中國に帰ったり、アメリカに行ったり、大學でまた挫折したりで大変でしたが、その過程で、「自分は本當に中國人なのか?」と疑うようになりました。
中國人の定義、それは國籍だけではなく、その人のアイデンティティに由來するものであると思っています。
そして、少なくとも、僕のアイデンティティはすでに、小學校の愛國主義教育が教えていた「中國人のあるべき姿」とは程遠いものでした。
それは差別の中生きてきたことも當然ながら大きく影響していると思います。
自己認知は他人の自分に対する反応のリフレクションの中で形成されるとすれば、
中國出身と言うだけで冷ややかな目線で見られた中學生時代は紛れもなく僕の自己認知を大きく歪ませたのでしょう。
そして、もう一つ理由があります。
それは、自分が長年教えられてきた「正しい中國の政治と歴史」が、実のところそこまで正しくもなかったと知ったことでした。
當然それらは差別によってではなく、自分の國について、ルーツについて學び、考えた結果と言えます。
この記事ではそこまで深くは立ち入りませんが、愛國主義教育に大きな疑問符を抱くようになったのでした。
ご存知の方も多いと思いますが、
僕はツイッターで中國関連の情報発信を行っています。
このアカウントです。
「ソンミ」は、映畫「クラウドアトラス」の中の「ソンミ451」というキャラクターから取ってきた名前。
映畫の中でソンミ451はクローン人間として世界に革命を呼びかけます。クローン人間に対する弾圧に対して、立ち上がるように呼びかけるのです。
僕は革命を起こそうだなんて考えていませんが、
ソンミ451のように聲が沢山の人に屆くことを願ってアカウントを作りました。
それは、僕のアイデンティティに関するもの、
僕の中國への感情とか考えに関するものなど様々です。
そして、一人でも多くの人にその聲が屆くように、努力してきたつもりです。
その過程で色々ありました。
炎上したり、色んな立場の人から罵倒されたり。
「日中の遺棄物」なんか言われたりもしました。
しかしそれも、今や自分だけではなくなりました。
今や僕だけではなく、皆さんが読んでいるこのサイト、そしてツイッターアカウントを擁するChi2eseニュースに、発信の使命は託されているように思っています。
「日中の遺棄物」だと思いたい人はそのまま思っていればよいですが、
その「遺棄物」たちは、自分で思考し、自分たちで新しいアイデンティティと紐帯を作れろうとしています。
國家をアイデンティティの根幹として置かないといけないだなんて誰が決めたのでしょうか。
自分たちのアイデンティティを決めてはいけないというルールなんてありません。
最後に。華人からの愛をこめて
連載第一弾では、日本と中國の雙方で生活する中でアイデンティティに関して思考し続け、そこで養った獨自の目線から発信活動を行なっているソンミの物語をお屆けしました