2007/4/1114:16:17
戦後のアメリカの対日政策について。
予想より日本(人)のレベルが高く脅威なので、
戦後骨抜きにする為、教育レベルを下げさせ、
自由の名のもと個人主義にさせたと話を聞いたのですが
真相はいかに?
工業化においても飛行機を作らせなかったり、
いまでも原油はアメリカから日本へは輸出してないとか。
日本分割されロシアに渡るのも脅威になると困るのでさせなかったとか。
ただのうわさですか?
(申明:以下供批判參考 用,不代表個人觀點)
ベストアンサーに選ばれた回答
2007/4/1115:23:49
アメリカの占領政策ー3R、5D、3S政策
この欠陥(昭和の教育が知識、技術に偏り人間學の教育が無かった)が終戦後また現れまして、占領軍の日本統治に対して対応する仕方を全く誤りました。占領軍は、むしろ日本を非常に買いかぶっておりましたから、いかにこれをアメリカナイズ
この政策に巧妙な解説がありますが、たとえば3R、5D、3S政策というものです。
これについて、私に初めて説明した人の名前を今、記憶しないんですが、當時GHQにおりました參事官でガーディナーという、ちょっと東洋流の豪傑のようなところもある人物からも直接聞いたことがあります。
それによると、3Rはアメリカの対日占領政策の基本原則、5Dは重點的施策、3Sは補助政策です。
3Rの第一は復讐(Revenge)です。アメリカ軍は生々しい戦場から日本に乗り込んだばかりで復讐心に燃えていたので無理もありませんが、復讐が第一でした。第二は改組(Reform)。日本の従來のあらゆる組織を抜本的に組み替える。第三は復活(Revive)で、改革したうえで復活、つまり獨立させてやる、抹殺してしまうのは非人道的だからというわけですが、この點、日本はアメリカが占領軍で有難かったわけです。共産國だとどうなったかしれません。
5Dの第一は武裝解除(Disarmament)、第二は軍國主義の排除(Demilitalization)、第三は工業生産力の破壊(Disindustrialization)で、軍國主義を支えた産業力を打ち壊すというもの。第四は中心勢力の解體(Decentralization)で、行政的に內務省を潰してしまう。警察も國家警察も地方警察とに分解する。そして財界では、三井総元方あるいは住友、三菱の総本社を分解する、つまり財閥解體です。第五は民主化(Democratization)で、日本の歴史的?民族的な思想や教育を排除してアメリカ的に民主化する。そのためにはまず日本帝國憲法を廃棄して天皇を元首から引き降ろし、新憲法を製定してこれを象徴にする。皇室、國家と緊密な関係にあった神道を國家から切り離す、國旗の掲揚は禁止する。教育勅語も廃止する。これにはかなり抵抗がありましたけれども、GHQのひとにらみで駄目になってしまった。
新憲法も、あれを受け入れるならば、「日本が獨立の暁には、この憲法は効力を自然に失う」という付則をつけておくべきであったが、そういうことも何もしていない。ドイツなどは、それをちゃんとやったのです。これをやらなかった日本は、本當に間抜けというか、意気地なしというか???、そしてアメリカ流のデモクラシーに則って諸製度を急につくり上げてこれを施行したわけです。これが5D政策です。
それを円滑あるいは活発に行わしめる補助政策として3S政策があった。第一のSは、セックスの解放、第二のSがスクリーン、つまり映畫?テレビというものを活用する。それだけでは民族のバイタリティ、活力、活気を発揮することがないから、かえって危ない。そこで精力をスポーツに転ずる。これはうんとやらせる。スポーツの奨勵ーこれが第三のS。これらを、3Rの基本原則と、具體的な5D政策の潤滑油政策として奨勵した。なるほど、これはうまい政策でありまして、非常に要を得ておる。これを3R、5D、3S政策というわけです。
こうした占領政策を施行された時に、日本人は堂々と振る舞うと思ったのですが、案に相違して、我も我もとGHQ參りを始めました。特に公職追放が行われてから後は、表向きの人々はGHQ様々で唯々諾々として「命これを奉ずる」という有様でした。そこへゆくと、同じ敗戦國でもドイツ人は違っていました。彼らは、なにしろ昔から勝ったり負けたり繰り返してきているから、たまたま負けても動ずるところがない。ですから、占領軍が命令しても悪いことは堂々と拒否する。日本人は唯々諾々、直立して「イエス?サー」と言うからイエスマンといわれたが、ドイツ人はこういうふうですからNein Mensch No Manです。占領軍は、だから、初めは日本人を可愛がり、ドイツ人を憎みましたが、しばらくすると、「日本人はつまらぬ、骨がない」と軽蔑し、逆にドイツ人は「しっかりしとる」と褒めるようになったのです。
日本を全く骨抜きにするこの3R、5D、3S政策を、日本人はむしろ喜んで、これに応じ、これに迎合した、あるいはこれに乗じて野心家が輩出してきた。日教組というものがその代表的ものであります。そのほか悪質な労働組合、それから言論機関の荒廃、こういったものは皆、この政策から生まれたわけです。
今日の日本の墮落、退廃、意気地のなさ、こういう有様は昨日今日のことではない。非常に長い由來?因縁があることを考えないと、これを直すことははできません。
www2.shizuokanet.ne.jp/sabu/060701special.html