笹井芳樹氏自殺の背景ーー小保方晴子氏が開けてしまった研究界の「パンドラの箱」
再生醫療研究の第一人者である笹井芳樹氏が自殺、各界に衝撃が走った。
「STAP細胞を必ず実現させて下さい」
小保方晴子?研究ユニットリーダーに宛てた遺書には、そういった趣旨の言葉が殘されていたという。
ノーベル賞候補の天才研究者と言われ、再生醫療の分野で世界的な注目を集めてきた笹井氏は、理化學研究所の発生?再生科學総合研究センターをリードしてきた。
小保方氏の研究が、ネイチャー誌に掲載され認知されたのも、STAP論文の責任著者のひとりだった笹井氏の存在が大きかった。
その笹井氏の死は、「STAP細胞が存在するかどうか」というところにまで膨らんだ疑惑の全容解明が難しくなったことを意味する。だが、解明の努力を怠ってはならない。
笹井氏の気遣いを受けた小保方氏は、再現へ向けての実験を続けなければならず、理研や大學を含めた研究界は、畫像やデータの捏造や改ざん、剽竊の橫行といった「研究最前線」の不正を正さねばならない。
理研のある研究者は、「研究者は不正をしない」という基礎研究の世界の性善説を覆し、論文も畫像もデータも実験ノートも、すべて疑ってかからなくてはならなくなったという意味で、「小保方さんは、研究者が封印してきた様々なパンドラの箱を開けてしまった」という。
その箱の中身のひとつに、亂発される博士學位がある。
疑惑に包まれた小保方論文は、ネイチャー誌に発表されたものだけではない。今年3月、2011年に彼女が早稲田大學大學院に提出した博士論文にも疑惑が浮上、早稲田大學では調査委員會を設置、調査を続け、7月17日、その報告書を発表した。
酷評だった。
「信憑性は著しく低く、博士學位が授與されることは、到底、考えられない」
小保方氏の論文には、序文を含め大量のコピー&ペーストがあったのを始め、実験畫像の盜用、意味不明の記述などがあり論文の體をなしていなかったという。
しかし、報告書は「學位取り消しの該當性は認められない」と、結論づけた。「論文は間違って草稿を提出したもので、真正な論文が別途存在する」として、後に提出された論文を認めたのだった。
調査委員長が小林英明弁護士で、他の調査委員は名前を明らかにされていない4人の教授。腰が引けている印象で、しかも、取り消さない理由として、「(博士號取得者の)社會的関係の多くを、基礎から破壊することになる」としており、最初から「不正の事実は指摘するが、博士學位は取り消さない」という結論が決まっていたかのようだ。
小保方氏が所屬した早大大學院?先進理工學研究科の教授は、次のように解説した。
「コピペの橫行、畫像の盜用は、指導教授によって多少の違いがあるものの、博士論文に蔓延していることは、誰しも気が付いています。それが小保方問題で図らずも表出してしまった。本來、これを機に研究?教育現場を抜本的に解決すべきなのに、封印の方向に走っている」
もちろん、報告書は最終結論ではない。
先進理工學研究科の教授、準教授、講師など100名前後が集まって、報告書を參考に作成された「執行部案」を議論。それをもとに、9月末までには鎌田薫総長が最終決定を下すことになる。
しかし、たたき台となる報告書が、鎌田総長を始めとする大學上層部の“意向”を入れたもので、「そこには文部科學省の思惑も加味されている」(前出の早大教授)というのだから、小保方氏の博士學位を取り上げることは、現段階の想定では、なかろう。
既視感がある。
私が、醫師や研究者の論文に関心を持つきっかけは、製薬會社?ノバルティスファーマの薬事法違反事件であり、その取材過程で知り合った岡山大學薬學部の2人の教授が、臨床試験や論文で橫行する不正を赤裸々に語ってくれた。
それを、本コラムで「データ改ざん、不正論文が次々発覚! 製薬業界と大學『癒著の構図』に切り込んだ2人の岡山大學教授の闘い」(2014年2月13日)と、題して配信した。
興味深かったのは、森山芳則薬學部長、榎本秀一副薬學部長の2人が、その実態に気付くきっかけは、大學院生の博士論文に疑問を感じたことだった。
調査した結果、実験も研究もろくに行わず、他人の論文を繋ぎ合わせただけのコピー論文が、博士號取得者を量産したい教授に指導された院生たちによって量産されていた。
調査結果に驚いた森山教授らは、2012年3月、それを報告書にまとめて森田潔學長に提出したものの、同月末、學長は森山部長を呼び出してこう伝えた。
「この問題は、これで終わりにしたい。これ以上、騒がないで欲しい」
疑惑の封印である。
背後に「研究の闇」を感じた両教授は、院生だけでなく大學病院長や教授らの論文も精査、28本もの不正論文が見つかった。
內部告発する両教授と、それを押しとどめようとする學長らの爭いは続き、今年に入ってから民事刑事の爭いに発展している。
早稲田大學の小保方論文疑惑を封印しようとする動きも同じだろう。論文不正が博士學位だけでなく、教授らにも波及、収拾のつかない事態になるのを怖れている。
だが、笹井氏の自殺は、他人のデータや論文は疑うのではなく信ずるところ始まる「性善説」に依り、精査しないという研究最前線の“慣習”がもたらしたともいえよう。
しかし、「パンドラの箱」は開いてしまった。畫像やデータは改ざんされ、論文は盜用されるという現実を踏まえ、大學や理研などの研究最前線は、今後、不正が発覚すれば、それを指摘、論文の撤回、學位の取り消しといった厳しさを持つべきだろう。
でなければ、時間が経って、この問題が忘れられた頃、不正をもとにした研究がまかり通り、持ち上げられ、STAP細胞のような騒動が、再來するかもしれない。
現代ビジネス 8月7日伊藤 博敏