歴史的なターニングポイントとなったのは1894年の日清戦爭だ。明治政府は日清戦爭の勝利が決定的となった1895年1月14日、「當時と今とでは事情が異なる」として10年間狙ってきた釣魚島を沖縄県に編入することを閣議決定した。
(中略)
その後、侵略戦爭中の1938年になって、外務省文書で國際法の「無主地の先占」によって釣魚島を領有したと明らかにした。
(中略)
日本は中國の「無人島」を「無主地」と勝手に言い換え、釣魚島を不法に占領した。
と述べています。
確かに、「無人島(人が住んでいない島)」と
「無主地(主のいない土地)」では意味が違いますね。
日本政府は、尖閣諸島が「無人島」であることは調査で確認したというけど、
本當に「無主地」であるときちんと確認は取れたのか。
どういう狀態を「無主地」と呼び、
日本はどういうふうに尖閣の「無主地」を確認したかが
つばめには分からないので何とも言えませんが、
少なくとも、歴史的には、どうやら中國のほうが
先に発見し、命名し、琉球國との往來などに
目印として利用していた島であったことは確かなようです。
尖閣諸島は歴史的にみれば、當時「無主地(?)」だったとはいえ、
先に中國の息がかかっていた島嶼であり、
日本は日清戦爭の勝利が確実になった時勢に乗じて\r
我が國の領土に組み入れました。