森狙仙
(もりそせん)
狩野派や円山応挙などの影響を受けながら獨自の畫風を追求し、養子森徹山へと連なる森派の祖となった。
主として動物畫を描き、とりわけ得意とした猿畫の代表作として『秋山遊猿図』がある。
號としては祖仙、如寒斎、霊明庵も用いた。
森狙仙の生涯については殘された資料が少なく、かなりの部分が不明である。
1747年(寛延元年)、森如閑斎橘如閑斎とする資料もあるが『日本美術シソーラス絵畫編』に従う。
という絵師の子として生まれる。
名は守像、字は叔牙。
出生地については大阪説、西宮市 西宮説、長崎市 長崎説がある。
いずれの説をとるにせよ、大阪市 大阪を中心に活動した。
はじめ、山本如春斎について狩野派の技術を學び、如寒斎と號した。