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北京のタクシー(つづき)

(2011-12-05 05:13:25) 下一個
 
 昨日、朝起きたら左肩の筋が痛くて首や肩をひねることができない。まっすぐ前を向いてキーボードを打つことはできるけれど、肩には常に鈍い痛みが貼りついている。ある一定の方向に體を動かそうとすると強い痛みが走るので、こわごわと體を動かす。そんなふうに動きが製約されると、體全體がぎくしゃくとして、休まりません。
 まあ、たぶん寢違えなので、シップを貼って2,3日も待てば治るでしょう。

 とりあえず、一昨日のつづきだけは書きます。

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 さて、昨日のつづき。タクシーの話というよりも、タクシーを降りるときに出合ったエピソードをふたつ、紹介します。

 ひとつ目は王府井の入り口でタクシーを降りようとしたときのこと。
 タクシーが目的地の王府井の入り口で停車すると、それを見た若い女の子が次に乘ろうとすかさず駆け寄ってきた。そして、私たちが降りようとするのを待ちかねるようにして、ドアを開けたままレシートの発行を待つ私たち越しに、ドライバーに何か話しかけた。
 するとドライバーは、手を橫に振りながら、
 「だめだめ、ここは降車専用なんだ。タクシーを拾えない場所なんだよ。」
と言う。
 「あ、そうなんだ。
 タクシーを“拾う”(中國語で“打車”)んじゃなくて、ここでちょっと私を車に乘せてくれればいいんだけど(“譲我上車”)。だめ?」
 「馬鹿馬鹿しい(“費話”)!同じことだろ。」
ドライバーはあきれたように言った。
 女の子は冗談でもなんでもなく、まるっきり真顔でこれを言ったのだ。真剣にこんなボケたことを言うなんて、今思い出しても麵白くてくすくすと笑ってしまう。ドライバーのツッコミもテンポよく、ちょっとしたコントみたいだった。

 ふたつ目も、タクシーを降りるときのこと。
 私たちの乘ったタクシーが道端に車を寄せると、すぐに若い20代くらいの男性が駆け寄ってきた。それとほとんど同時に、橫から子どもを抱っこした母親が現れて、ドアの前に立った。
 若者は、その母親に向かって、
 「このタクシー、僕が呼んだんだ。」
と言う。
 母親は怪訝な顔をした。私も、え?どういうこと?って不思議に思った。
 彼は続けて、
 「さっき、このタクシーが向こうからぐるっと回ってくるときに、僕が呼び寄せたんだ。」
と、言う。
私は、全然理屈に合わないことを言うなぁ、と思ったのだけれど、子どもを抱えた母親は、
 「そうなの?わかったわ。」
と引き下がる気配を見せた。
 そのやりとりを耳にしながら、夫が先に、私は後から車を降りた。ドアの前に立つ若者に向かって、夫が、
 「小さな子どもがいるんだから、ゆずってあげたら?」
と言うと、若者は気まずそうな顔をしながら、
 「あ、…、ああ、どうぞ。」
と素直に譲った。
母親は、
 「ありがとうございます。」
とすごくうれしそうだった。

 始めからちょっとずるいというか、理屈をつけて自分を優先しようとした彼が、たった一言で、決まりの悪そうな顔をして譲った。それは、本當は子どもを持つ母親に譲るのが正しいあり方だよね、という共通の認識が失われずにちゃんとあるからこそだと思う。
 言われなくてもそうするほうがもっといいんじゃないの、ってことかもしれないけれど、でも、私はその若者の中に、ずるさやわがままと素直さとが同時にあって、でも結局は、柔らかで素直な心が表に出たというそのごく普通の人間の生活の光景に、心を打たれたのでした。

 


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