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脫・資本主義を

(2011-09-27 06:37:04) 下一個
 
 最近youtubeで、水道橋博士が司會をしている対談番組を見ている。これがなかなかおもしろい。この番組は、始めはネット配信の番組だったらしいが、後に中身はそのまま番組名だけ変えてTOKYO MXというテレビ局で2010年3月まで続いた。
 水道橋博士が司會、宮崎哲彌がオブザーバーといった役を務め、ちょっと変わった人たちをゲストとして呼び、扱いにくい話題を大膽に取り上げている。
ネット配信の時の番組名は『博士も知らないニッポンのウラ』、TOKYO MXテレビの時は『博士の異常な鼎談』という題名で放映された。

 その番組に、苫米地英人氏という怪しい脳機能學者が何回かゲストとして出演している。宮崎氏とは懇意の仲らしく、3人の息がぴったり合っていて、弾む會話がおもしろい。苫米地英人氏はオウム事件のとき信者の脫洗脳を請け負って名を馳せた人だ。國鬆警察庁長官狙撃事件の犯人の事情聴取(脫洗脳)に関わったときの話などを聞くと、警察の捜査というのもおそろしく恣意的なのだと改めて知ることになる。

 さて、その中で苫米地英人氏が語った、マルクス対自由主義についての話が印象に殘ったので引用しよう。
 マルクスっていい人だったのよ。いい人すぎたの。
単純に言うと、昔は飢餓があったわけ。そうすると100人のうち、90人しか食えないのよ。100人死ななきゃならないっていうの。
 そこで、マルクスはどう考えたかっていうと、100人が皆、1割ずつ我慢すればいいじゃん、そうすれば100人全員食えるでしょ、っていうのが計畫経済なのよ。
 で、それに対して、煩悩丸出し集団がいたわけよ。イギリスを中心にして。そうじゃない、自由主義に任せなさい、それで競爭に負けた10人は死んでもらえ、これが資本主義の自由主義経済ね。それは、そのまま実はヒトラーの論理と同じなんだよ、逆に言うとね。
 で、どっちが勝ったかっていうと、資本主義勝ったんよ。ソ連なくなり、中國なくなり、それは當たり前で、マルクスは人間の煩悩を甘く見たっていうことよね。でもその資本主義対マルクスの計畫経済の戦いで資本主義が勝ったお互いの土壌があったの。それは100人のうち10人飢えるっていう時代があったの。
 実は人類は人類400萬年の歴史の中で、今から三、四十年前に飢餓を克服してるのよ。今100人が100人食えるのよ。ってことは、資本主義もマルクス経済もいらないのよ。計畫経済いらん、共産主義いらん、資本主義もいらないの。
ところが今、逆目來てるの。今日まさにサミットのさ、今回のサミットの問題出たでしょ。それはなんと食糧が投機で飢饉になるわけ。資本主義のなれの果て。だから資本主義、明日やめなさい。日本は法律を決めて、憲法で資本主義を禁止する。
http://www.youtube.com/watch?v=lSsqyyDm24Qより)

 苫米地さんは、イギリスを中心にして欲望丸出し集団が自由主義を唱えたというように言っているが、日本はどうなのかなぁ。自由主義を信奉する集団には思えない。激しい弱肉強食を好まず、社會主義的な平等主義を求める性質をそもそも持っているんじゃないだろうか。農耕民族だし。一人一人が少しずつ我慢して、集団全部を救おうとする方が、日本人の心理からして比較的容易に受け入れられるような気がする。
 で、そもそもそういうメンタリティーを持っている上に、苫米地さんの言うように、特に日本では今は食糧が足りないから飢えるという時代ではない。一人一人が少しずつ我慢したり或いは生き殘る側になろうと必死に競爭しなくてもよい時代になったはずなのだ。
 そういう時代にはそういう時代にふさわしい新しい思想と製度が必要なんじゃないかと思う。富がどこかに極端に偏ることは正しくないことだという倫理観を社會全體で共有することと、それに基づく製度の整備がこれからの時代に必要なのではないか。

 民主黨が掲げる理念にそういう方向性を感じるのだけれども、現実はなかなか上手く行かないみたいだ。やっぱり人間の煩悩を甘くみたらいかん、ってことなのかなぁ。(それは我が身を省みても明らかなのだけれど。)
 人類の歩みは今まで、皆がお腹いっぱい食べれるようになるための努力、つまり物質麵での発展を目指し、そしてその目標を達成してきたけれど、これからの人類は精神的にステップアップしていくことが課題となっていくんじゃなかろうか。


 
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