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自粛

(2011-04-05 04:26:06) 下一個
 
 少し前に、この大災害によって「欲しがりません、勝つまでは」の空気が満ちるんじゃないかと思ったけれど、それは時代錯誤の私の勘違いで、今の日本は違うのだ、という話をこのブログに書いた。
 でもこの頃なんだか“今の日本は違う”とばかり言えない雰囲気が漂ってきて、ちょっと抵抗を感じる。祭りが中止になるし、花見を自粛しろだとか、節約しようと有名人が呼びかけるCMがあったり…。
(テレビで芸能人が呼びかける道徳は、交通標語と同じで、何にも伝わらない。被災者の顔を映すだけにしたらどうだろう。芸能人に、したり顔で諭されるよりずっと心に響くと思う。)

 自粛って便利なやり方だ。自粛を呼びかける側は責任を取らずに済む。命令や強製じゃなくて自粛なんだから、皆が自主的に行いを慎しむのだから、その結果誰が不便を感じようが不利益を蒙ろうが、自粛を呼びかける側には何の義務も責任も生じない。
 しかも、強製や命令のために必要な監視や管理の必要もない。市民自身が互いに他人の目を気にして、はばかりあう。

 靜岡は祭りや大會が軒並み中止になっている。7月の花火大會まで既に中止が決定している。
 4月始めの靜岡祭りも近所の縁日も屋台なくて、春休みで名古屋から遊びに來ていた甥や姪をどこにも連れていかないまま、子どもたちは帰っていった。帰り際に岡崎城の桜を見に寄ったら、ちょうど桜まつりで屋台が出て賑わっていたそうだ。
 それで靜岡と愛知ではずいぶん違うんだな、と思った。母が、阪神大震災の時は逆だったかもね、と言った。


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