個人資料
正文

(2010-11-16 04:22:57) 下一個
 
 10日程前、いつもの散歩コースから見える潅木の茂みの中に、青いビニールシートが見えた。何かを覆ってあるみたいだ。あんなところに何が隠されているのだろうと近寄ってみた。土手の下の歩道から4、5メートル程、雑草の茂みを分け入る。近づくと、木陰に貓がいた。子貓ではないけれど、まだ若い。白いお腹に、背はキジトラ模様。シートの下には貓を運ぶ時に使うトンネル型の籠が置いてあった。脇には小さな座布団と、貓のエサが入ったプラスチック容器が並んでいる。
 そっか、誰かが捨て貓をここで飼ってるんだ、と思った。
 犬を連れているので、貓は警戒してフーッと毛を逆立てる。あまり刺激しないようにとそっとそばを離れた。

 次の日、シートのそばにうずくまる貓を遠目で見ながら通り過ぎた。その次の日も貓はシートのそばにいる。よく逃げないな。もう一度、近くまで寄ってみて気がついた。貓は紐でつながれている。鈴のついた首輪から白いビニール紐が伸びて、近くの木に結わえてあった。
 それから私は毎日犬と散歩しながら、青いビニールシートと貓の姿を見ることとなった。そして私は毎日、貓のことを気にかける。特にその貓に同情しているわけではない。貓がその狀況を良しとしているのかどうか、貓でない私にはわからない。貓は毛並みがよく、太りすぎも痩せ過ぎもせず、少なくとも身體的には何も問題がないように思える。
 空は青く高く、太陽は大地に平等に光を降り注ぐ。茂みも小川もある野は、どこでも自由に居場所を選択できる(ように見える)。自然が連想させるそういう自由さのイメージと、繋がれている故にいつも同じところに留まっている貓と、その組み合わせがどうにもそぐわないような気がするだけだ。
 一匹の繋がれた貓という光景が、自然が內包する自由のイメージをみだし、それゆえに散歩の際に私にもたらされる爽快感や開放感がほんの少し損なわれる。誰かが紐を解き放てばいいのに、と思う。


 
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