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虐待と絞首刑と

(2010-08-29 05:31:07) 下一個
 
 柳美裏の『ファミリーシークレット』という小説を読んでいて、民法の822條に「親権を行う者は、必要な範囲內で自らその子を懲戒し、又は家庭裁判所の許可を得て、これを懲戒場に入れることができる。」という記述があることを知る。

 その次の日、新聞で、日本の死刑が今でも絞首刑であると知った。てっきり薬物投與だと思っていた。
 絞首刑と薬物投與とどちらがより苦しまずに済むだろう?
 殺し方によって何が違うのかとか、どんな方法が苦しまさせずに済むのか、などという問題は「死刑そのものの是非」という大きな問題からみたら枝葉末節のものだろうか。死刑そのものよりも、その方法の方が、より以上に目を背けたい事柄であり、語るのがはばかれるような忌まわしさを伴うような気がする。きっとそれが具體的なイメージを喚起させるからだろう。
 以前、テレビでお笑い芸人がその場にある材料で料理をするという番組を見たことがある。生きている蛸やすっぽんを水槽から出して、包丁片手に、ぬるぬると逃げる蛸をぎゃーぎゃー言いながら追いかけていた。見ていて大変不快に思った。プロの調理人がすっすっと捌く美しさがいかに大事なことか。
 それとこれとを一緒にしてはいけないだろうか?

 內閣府の世論調査によると國民の8割以上が死刑製度を容認しているそうだ。過去9回にわたってほぼ5年ごとに行われている調査だが、その結果の推移を見てみると(參照:死刑についての世論調査)、1994年の調査より後、死刑製度に関する世論が急速に容認の方向へ傾き、その傾向が固定化されつつあるように見える。
 1995年3月にはオウム真理教による地下鉄サリン事件が起こっている。

 村上春樹の『1Q84』が女性や子供への暴力とカルト宗教の教祖を取り上げていることを思い出した。
 社會に恒常的に存在している個人的な暴力の破片と組織的なテロの発生と社會全體の見えない意誌とがどこかでつながっているように思える。
 そう言えば、『1Q84』の主人公の一人、青豆さんは、プロの料理人のように人を苦しませずに殺すことのできる暗殺者だった。

 柳美裏の『ファミリーシークレット』は読み応えがあった。親に子供が殺されるニュースを耳にすると、つい、とんでもない親だと思ってしまう。でも彼女の本を読んで、簡単に批評してはいけない、その背景にあるものに考えをめぐらさなければいけないことを胸に刻んだ。


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