個人資料
正文

どどいつ(3)~君は吉野の千本ざくら

(2009-12-15 03:36:46) 下一個
前回からの続き。

 日本の詩歌に欠かせないのが花鳥風月です。どどいつにももちろん四季折々の情景に細やかな心情を重ね合わせた句が數多くあります。いえ、數多くどころか、『どどいつ萬葉集』によれば、「古典都々逸に一番多いのはやはり四季有情」だそうです。
 春夏秋冬それぞれの季節から2句ずつ選んでみました。

[春]

君は吉野の千本ざくら 色香よけれどきが多い

春はうぐいす何著て寢やる 花を枕に葉をかけて

[夏]

土手の蛙のなくのも道理 みずにあわずにいるからは

分かりゃ二た根の朝顔なれど 一つにからんで花が咲く


[秋]

泣いていたのかうつむく萩を 起こしゃこぼれる露の玉

父よ父よとなくみの蟲は こずえ力に秋の風

[冬]

じみな戀仲まことと誠 雪の白鷺ゃ目に立たぬ

不二の雪さえとけるというに 心ひとつがとけぬとは



 美しい情景が目に浮かぶような句が好きです。
 花を枕に葉を掛け布団にして寢るうぐいす、なんてかわいらしいんでしょう。
 うつむく萩をぽんとはじいたら涙のような露がぷるるんとこぼれる、可憐ですね。
 色鮮やかに燃えあがる人目につくような派手な戀とは違う、雪の白鷺が冷たく澄み切った空気の中に凜と佇むような地味な戀、けれど誠の戀、素敵です。

 蓑蟲が「父よ、父よ」と鳴くというのがかわいいと思ったのですが、どうもその言い回しはどこかで聞いたことがあるような気がしてなりません。それで調べてみたら、枕草子でした。

蓑蟲、いとあはれなり。 鬼の生みたりければ、親に似てこれも恐ろしき心あらむとて、親の怪しき衣(きぬ)引き著せて 「今、秋風吹かむ折ぞ、來むとする。待てよ。」と言い置きて逃げて去(い)にけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月(はづき)ばかりになれば、 「ちちよ、ちちよ」と、はかなげに鳴く、いみじうあはれなり。
 枕草子以降、日本では、親に捨てられた鬼の子の蓑蟲は秋になると「ちちよ、ちちよ」とはかなげに鳴くのです。


次回は現代どどいつです。
[ 打印 ]
閱讀 ()評論 (0)
評論
目前還沒有任何評論
登錄後才可評論.