浥 清 晨

自勉:可使食無肉,不可居無竹,無肉令人瘦,無竹令人俗。— 蘇東坡
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也說“勤勞感謝日”

(2006-11-24 09:39:55) 下一個
              

   也說“勤勞感謝日”

                                                作者

06年的1123號,星期四。日曆上是“紅”日子,是日本的“勤勞感謝日”。

說起“勤勞”似乎有著一份特殊的情感。

幼年的記憶力裏,這個詞一直是跟“善良”連在一起的,常常用它們來讚美勤勞、善良的中國人民,而且每每讀到它們、寫到它們心中都會充滿了自豪感。

到了開始懂得父母養育之艱辛,從他們的背影中切實感受到勤勞、善良所背負的重荷的時候,於心又總是憂戚傷感的,可憐天下父母心。於是就想象著自己成人之後可以報答他們的種種。即便是現在回首,亦是有種傷痛隱在懷裏,真當自己有了能力回報父母養育之恩的時候,卻往往又是那麽的短暫,就沒有了回報的機會。天國裏的親人,你還好嗎?

遠離父母來到日本的那些最初的日子,留下印象的竟然也是在“勤勞會館”。那裏的日語教室、國際交流,以及來到日本後迎接的第一個中國春節的交流活動,都是在那裏。騎著單車穿街走巷迎著拂向臉龐的絲絲涼風的,好像就是今晚的自己。

這些個時間留給我的記憶,讓我好像對與“勤勞”沾邊的,無意中就都有了一份偏愛。亦或許是現如今的自己對“勤勞”二字有了一點點的體會。活在世上多是不易之事,辛勤勞作的平常日子裏,多些善待給家人給自己給朋友吧。

今天特別在網上搜索了一下日本的“勤勞感謝日”的由來。它是日本敗戰後的產物。據說此之前大概是11月初還有一次將當年收獲的五穀敬奉神靈的節日,到了11月的23日才是將當年收獲的五穀敬奉庶民百姓的。日本敗戰後以示重視國民的立場,才有了今天的“勤勞感謝日”。其實,對它的由來的考證與否已經並不重要,我想每個人心目中都會有自己的對“勤勞”“感謝”的詮釋的,不是嗎?


      



另附網上文章

勤労感謝の日について

勤労感謝の日は 「國民の祝日に関する法律」(1948年製定)で製定された「國民の祝日」です。
「勤労をたっとび,生産を祝い,國民たがいに感謝しあう」日です。
勤労感謝の日は,以前は「新嘗祭(にいなめさい)」として祝われてきた日です。
新嘗とはその年に収穫された新しい穀物のことをいい、それを天皇にそなえ、自ら食して収穫を感謝しました。天皇に限らず國民全體が秋の収穫を喜び、新しい穀物を神仏に供え感謝する日でした。
今日の日本は、世界でも指折りの食料輸入國で穀物の70%は海外からの輸入によるものです。
そして、食べ殘しや大量の食料廃棄を行い、飽食の時代といわれています。
戦時中の日本、およそ50年前には今のような食生活は考えられず、栄養失調や、病気で亡くなる人も多かったようです。時代が流れるにつれてそういった話をする方が減り、食料の大切さや食を愛でる気持ちも退廃してきたように感じます。
このサイトをきっかけに穀物などの収穫の恵みに感謝する心を持ち、食を愛でる気持ちを大切にしてほしいと思います。
また、勤労感謝の日の「勤労」は,もちろん農業だけを意味しているのではありません。
もっと幅広く,全ての職業・職種を超え,日々の生活へ取り組む姿勢をも含めたものだと思います。
「勤労感謝の日」は,勤労によって生み出された生産を祝い,意義ある生活を送っていることにみんなで感謝をする日です。

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