韓國
(2006-04-05 19:23:33)
下一個
韓國
今回は初めて、韓國のソウルに行ってきた。成田からは実に近く、2時間半で行ける距離で、アシアナ航空の便に搭乗した。スチュアデスが非常に綺麗で、ちょっぴり嬉しい気分になった。
インチョン國際空港に到著すると入國が非常にスムーズであった。成田と違うのは、案內のハングルが大きくなってた。今回は言葉が通じない國に來るのは初めてだけど、漢字を辿り、両替をし、バスの切符を買うときに、どうしても発音が通じていないらしい。漢字で書いてみたところ、わかってくれた。時差もないので、餘計な時間計算しなくても済んだ。ただ、日沒は日本よりずっと遅いはずではあるが、
バスに乗ってからは、非常に不安であった。行く先で降りる地名がどのあたりにあるのかは検討つかないからだ。幸い英語のアナウンスがあるので、何とかなりそうだと思った。
インチョン空港に出ると初めて、これは島であることがわかった。連絡橋も立派で、途中では、沼地が広がっていた。これはなかなか日本で見られない風景でもあった。社內では韓國の曲が流れているが、意味が聞き取れないが、ジャンルはポップスであった。運転手は40台のようだが、ポップスを聴くのはちょっと驚きでもあった。中國のハルピンのあるタクシー運転手がBoAのDVDを見ていたには負けるかもしれない。
途中で金浦空港に寄り、バスがソウル市內に入ってゆく。全體的な感じは雑居ビルが多く、車もかなり混雑していた。自家乗用車が多く、一見東京とほとんど変わらない感じであった。一時間ほどで、かみさんに指定されたバス停に到著し、かみさんの顔を見つけることができた。ハルピンが第一の家だとすると、ここは第二の家に當たる。いろんなところに家を持つことは悪い気分ではなかった。
ちょうどその時は野球(WBC)が、日韓線の直前であった。靴屋さんにいった時、明日の日韓戦はどちらが勝つのかと、若いお兄さんの店員に聞かれた。「日本に勝ってほしいと思う」とかみさんが通訳してくれた。最後に若いお兄さんと握手しいて店を出た。
次に入ったのは、洋服屋であった。スーツを選ぶ時、どうも日本の貨幣と異なり、一桁が多くなっていた。日本と同じように店員がお辭儀するのは、いささかこの國と日本は結構近いと感じた。「オソオセヨ」「カンムサハムニダ」ぐらいは聞き取れた。裾上げ、仕上げなどもしなければならないので、9時半取りにくることになった。日本の感覚にすれば、當然翌日9時になるのだが、なんと韓國では、當日の夜9時だという。やはり常識はずれというか、小さな店ではあるが、日本でも到底考えられないことであった。
後で韓國の地図を調べて分かったことではあるが、そこは、漢江(ハンガン)の南に位置し、雑居ビルが混在するこの地區は、商業地と住宅地が入り混じっていた。出店、スーパー、美容室などもすぐ近くで、生活は便利で、日本のように、住宅地、商業地、工業地など規製が厳しいわけでもなさそうだ。
兎も角、韓國では漢字ではなく、ハングルが主流で、町中が埋め盡くされていた。時々、バス停、駅の案內板などで、小さく書かれてある漢字を見かける程度であった。日本でもよく見かけるコンビニのファミリーマット、セブンイレブンもちろんあった。中の商品の並びも日本とほとんど変わらないし、製服までも一緒だとはすこし感心してしまいそうだ。
もうひとつ驚いたことに、韓國人の國民性にひとつの特徴があるようだ。それは、気儘であった。決められた通りに従う日本人とは違って、「好きなときに、好きなことをやる」というのは、理想ではあるが、実際にはなかなかできない。しかし、韓國人はできるのだ。多くの店は夜遅くまで営業しているが、朝の営業開始はかなり遅い。朝早くから店の準備などに勵む日本人とは、まったく異なっていた。私はもし殘業して、家の近くの商店街を通るとき、コンビニ、本屋などを除き、8時以後で開いている店がほとんどないのだ。すでに述べたように野球の日韓戦の対戦日は、多くの人は店を閉め、野球を応援しに行くのだという。テレビも、繰り返し、韓國選手の好プレーを流していた。言葉は分からないが、日本には2回も勝っていたから、優勝間違いないと言っていたではないだろうか。
韓流ドラマでは、よくイケメンな男性が出てくるのだが、実際でも式場で數人見かけた。1時間ほどして、美容室から出てきたチマチョゴリ姿のかみさんは別人のようだ。実際は、結婚式をやるわけではなく、子供の一歳の誕生祝いなのだ。集まった親戚・友人は約20數人で、義理の父の同級生でかなり日本語が喋れる人もいた。挨拶などで交わされた言葉ほとんどが韓國語で、分からない分気楽であった。寫真とビデオ撮影も隨時に行われた。義理の父はかなり嬉しかったようだ。のんべでもあったが、式終わった後に先にカラオケにいった。中年グループではあるが、みんなは歌っては踴り、踴っては歌いを繰り返した。それなりに社交があり、愉しみの場でもあるのだと感じた。義理の父と母が歌うのと踴るのを見たのは、初めてはあるが、ここも「韓流」(踴りが好きな民族)だろう。動きは沖縄人と似ていて、やはりどこか共通點があるだろう。義理の叔父は、かなり歌が上手であったし、リズムは8ビート、笑いながら歌っていたので、內容も楽しいだろう。部屋にはドラムスまで用意されているのは、新鮮であった。ドラムスの演奏はできないが、これがバスドラ、シンバル、ハイハットのオープン、クロース、そして、ハーフオープン、スネア、タムタム、本物の楽器の音はやはり気持ちがよかった。
続く…