神戸外國人居留地(こうべがいこくじんきょりゅうち)は、安政五カ國條約に基づき、1868年1月1日(慶応3年12月7日)から1899年(明治32年)7月16日までの間、兵庫津の約3.5km東に位置する神戸村(後の兵庫県神戸市中央區)に設けられた外國人居留地である。神戸居留地ともいう。 東を(舊)生田川(後のフラワーロード)、西を鯉川(後の鯉川筋)、南を海、北を西國街道(後の花時計線)に囲まれた広さ約7萬8000坪の區域が合理的な都市計畫に基づいて開発され、「東洋における居留地としてもっともよく設計されている」と評された。一定の行政権?財政権などの治外法権が認められ、居留外國人を中心に組織された自治機構によって運営された。運営は円滑に行われ、日本側と外國側との関係も概ね良好であったと評価されている。貿易の拠點、西洋文化の入り口として栄え、周辺地域に経済的?文化的影響を與えた。…… | ||||
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