留學時代の出來事
文章來源: 小春日和2011-06-14 06:16:52
 
 先日、ある人のブログを読んでいたら、その日が6月4日であったことに気がついた。それで昔のことを思い出した。
 私が北京に留學したのは1990年だったが、ある時、學校側がビデオを見せてくれた。なんだかビデオを見るってよ、という話が留學生仲間に口づてに伝わってきて、希望する生徒たちは課外の時間に、三々五々、娯楽室へと集まった。 ビデオは前の年に起きた事件を報道した中國のテレビ番組だった。日本人留學生たちは皆、先生たちがそのビデオを見せた意味をなんとなくわかっていた。中國ではこういうふうに報道されたんですよ、ということをただ伝えたかったのだと。私たちにビデオを見せてくれた目的を直接的に説明されたわけではないし、留學生同士で突っ込んで話し合ったわけでもないのに、なぜか、皆それを暗黙のうちに知っていた。ビデオを見せた先生たちと私たち日本人留學生は、それを通して、言葉にはできないある種の痛みを共有したのだ。
 ところが、これは後から聞いた話なのだが、歐米人のグループはビデオを見た後、大変怒っていたそうだ。何でこんなのを見せたんだ、私たちを洗脳するつもりなのかと。そう言われても先生たちには何も説明できない。それで、このビデオを見せることを決めた留學生管理部門のトップの先生が、「やっぱり日本人とは心が通じ合うところがあるけど、歐米人とはだめだな」とこぼしていた。
 もともとその先生には特別な経歴があって日本語がぺらぺらだったので、日本人留學生たちとも普段から親しくしていて、そういうお互いの考えや性質をよく知っているがゆえの暗黙の了解みたいなのがあったのは確かだ。それにしても、そもそも西洋人は伝えられる中身そのものに注目するのに対して、東洋人は中身よりもその背景や関係性全體を通して物事を判斷するという両者の違いがあるのだろうかと思った。

 そんな話を思い出した。