『源氏物語の時代』- 山本淳子
文章來源: 小春日和2008-12-14 18:33:09


 私は歴史が苦手だ。なにしろ人の名前や年號が覚えられない。けれど、山本淳子氏の『源氏物語の時代~一條天皇と後たちのものがたり~』(朝日新聞社)を読むと、まるで私自身が宮廷の女房(侍女)の一人として王朝のきらびやかな世界に紛れ込み、天皇と後たちの愛情のドラマをこの目で見、この耳で聞いたかのような気持ちになった。
 

本書の題名「源氏物語の時代」とは、実在の帝、一條天皇の時代をさしています。…

…彼は天皇として課せられた使命に実に諏gに取り組む人間でした。道長など貴族たちとの強調にも努め、信頼を得ていました。私生活では漢詩を好んで自らも作り、また橫笛の名手でした。お酒も多少嗜んだといいます。そして當時の天皇としては珍しいことに、ただ一人の女性を一途に愛しました。彼らの愛情関係やその子どもたちを含めた家族関係は、平安時代の感覚を逸脫し、むしろ私たち近代以降の人間の持つ、「純愛」や「家族愛」という感覚に近いものと評されています。

本書は、この一條天皇と、彼をめぐる二人の後、定子と彰子の物語を、現存する歴史資料と文學作品によって再構成したものです。

(「はじめに」より)

 
 この本を、小説を読むように夢中になって読んで「ああ、平安時代とは、かくもロマンチックで知的で美しい世界だったのか」と感動していたら、そのすぐ後に、司馬遼太郎が丸穀才一との対談でこんなことを言っているのを、読んだ。
 

われわれが政治家を思うときは、たとえば源頼朝を考えたり、アメリカの大統領を思ったりしますね。非常に近代主義の目でみて、人民の苦しみ、世の中の不合理とどう対決するか。それを思うんですね。ところが、平安朝の天皇――白河院を例にあげれば、この人ほど自分の権力、王の王たる自分を誇った人はいないわけでしょう。いままでは摂関政治に頼っていた連中ばかりだ、番頭まかせの政治だ、と。しかし、それだけの権力を誇りながら、それをいっさい政治に使わない。せいぜい、ちょっとした宮廷人事に使うぐらいのものですね。そして、主としてそのエネルギーを女遊びに使う。白河院が一生のあいだにどれだけの女と関係があったかを考えると、気が遠くなる思いがする。

(『司馬遼太郎対話選集1~この國のはじまりについて~』より)


 白河院は一條天皇の何代か後の天皇だが、『源氏物語の時代』によると、一條天皇のすぐ前の天皇、花山天皇も常軌を逸した色好みであったという。だから、一條天皇は「當時の天皇としては珍しいことに…」「彼らの愛情関係や…家族関係は、平安時代の感覚を逸脫し、…」という例外中の例外ということらしい。「はじめに」にもちゃんとそう書いてあったのに、ついうっかりとそれが平安時代の一般的なあり方であったと思い込んでしまった。

『源氏物語の時代』は、一條天皇という當時としては個性的な人物の人生を再現したドラマで、歴史が苦手で小説が好きな私が夢中になって楽に読めるというのも、そう考えると合點がいく。更に、そのドラマの骨格に近代の価値観に通じるものがあるので、私たちにとって感情移入が容易で深く共感を呼ぶのだと思った。

著者の専門は日本文學で、夫は高等學校の日本史の教員だそうだ。あとがきに、「高校生が引き込まれる副読本、物語に読みふけって泣いたり笑ったりしているうちに、自然に歴史や古典の基礎知識が身につくサブテキストを求めていた」夫のアドバイスが、執筆中の支えになったとあった。

源氏物語の世界になんとなく魅力を感じるという人に、お薦めの一冊である。